狭窄の暗路 “Lyxo”
パズルだけどパズルとは呼びたくない。
どんなに中の作りを凝っていたとしても、照明を落とした迷路に放り込む行為をパズルとは呼びたくない。
暗闇の空間にさし込む一筋の光の進む方向を調整し、ゴールの球に光を集めるという光の反射を大枠としたパズル。
プレイヤーは光を反射する線をフリーハンドで描くことができ、これによって制御する。
ただ反射させるだけでいいならば簡単だが、当然そううまく事を運べるはずもない。
盤面には光を吸収する壁が点在しているが、その存在は暗闇に溶けているので光で照らさなければわからない。なのでプレイヤーは単に球に向けて光を反射させるだけでなく、その道となる仕切りの配置を知るためにも光を反射させなければならない。
中には行き止まりの配置もあるので、何も考えずに見えている道だけを辿ろうとすると迷子になってしまいかねない。
視覚情報を奪われる代わりに、光を反射させるためのペンツールは強力なものになっている。
補正がかかるので適当に描いても滑らかな線になる他、描いた線は変形はできないものの移動と削除は自由に行えて、描ける量に制限はない。歪んだ線を狙って描けるようになれば散乱や収束までもが容易にコントロールできるようになる。
自分が描いた線の数々によって様々に反射する光は美しくはあるが、しかしながらパズルとして、ゲームとしてはいくつかの複合要因によってつまらなく感じてしまった。
まず、暗闇を照らすという大枠がそもそも面白くない。障害物が隠れている、つまりルールが詳らかでないことへの不満もあるが、より大きいのはこの枠組を紐解く上でのアプローチの幅のなさである。
仕切りや障害物は窮屈に敷き詰められているわけではないのだが、光は直線的に進むため遮られた先を知ることはできず、ゆえに実際の範囲よりもずっと狭く感じられる。
光を散乱させて照らしてみても、散在する仕切りのせいで得られる情報が少ないということがしばしばあるため、わざわざ丁寧に探索するより、一本の光を四方に伸ばして一番伸びる方向にとりあえず進むという手探りで場当たり的なやり方が無難な手法として定着してしまう。
さらに、パズルの枠組として微調整を求める内容を据えてしまったため、俯瞰的な思考よりも部分的な総当たりで強引に押し通すという、全体的な光の反射の美しさを感じることのない構成になっていてこれまた面白くない。
原色の合成などは特に酷いもので、少しずれただけで色が変わる、光の粒子は思うように誘導できないなど、目的の線が描きにくいのもあって非常に泥臭い内容になってしまっている。
綺麗な線を描くのは簡単でも目的の線を狙って描くのは難しく、また描画のつもりで移動が起きてうまく配置できた線がずれてしまったりなど、ペンツールは強力だが実はそこまで便利というわけでもない。
わずかな光でも吸収し、また吸収した光の減衰速度が遅いというゴールの球の仕様のおかげでかろうじて我慢の限界を超えずにいられるものの、光の美しさに感心していられるほどの余裕が持てるゲームからは程遠い。
このゲームは反射する光を眺めるシミュレーションと、反射する光を利用したパズルとで割り切れなかった結果、乱暴な解き方でごり押す中途半端なパズルとして終始した。
自分が出した汚い解答を見て一体どうして綺麗だと思えるだろうか。そんなものには感嘆も達成感もありはしなかった。
追記
アップデートで17問が追加され、問題数は87から104となった。
どの問題もゴールの球の移動という新しいギミックをテーマにしたものばかりである。これだけだとただ動くものが変わっただけだが、それ以上にレベルデザインの設計思想が大幅に変わっていた。
光の減衰速度が上がる代わりに、色の合成や干渉を考える必要がなくなっていて、結果として微調整とは無縁の大胆な解き方が通るようになっている。今まで通りの設計思想だったなら、ゴールの球が動くことにより微調整の難易度がさらに上がっていたはずだ。
この変わりようを見るに、このゲームの正しい楽しみ方として想定されていたのはフリーハンドの線の上で鮮やかに乱反射する光を眺めることだったと思われる。既存の問題の改修は難しかったので、新問で軌道修正することでそこへ誘導しようとしたのだろうか。
目的のゲームに近づけるための正当な手続きだとは思うが、その本来の楽しみ方がそもそもパズルとして楽しめるものかと問われると微妙である。ただパズルからシミュレーションに傾いただけでしかない。
引ける線に一切の制限がなく、通り道は暗闇の中手探りというよりも、引ける線が限られているが、盤面は明瞭というほうが私は好きである。