王兎の征く地獄道 “Furdemption”
ウサギの毛並みは血濡れでボロボロ。
マヌケの心はプレッシャーでヘトヘト。
主人公を直接操作して羽根のあるポイントまで辿り着けばクリアとなる見下ろし型のグリッド制パズルアクション。
操作キャラクターであるウサギはもこもこでぴょこぴょこ動いてかわいらしいが、舞台は即死トラップに満ち溢れた灼熱の溶岩地帯というかわいらしさの欠片もない地獄である。その殺意は容赦なくウサギに襲い掛かり、グロい死に様を何度も見る羽目になる。
内容も地獄の舞台にふさわしいもので、頭を使って道を切り拓くパズルというよりは、タイミングを見計らって素早く動くアクションの趣向のほうがはるかに濃い。どこから手をつけるべきか迷うごちゃついた盤面も少なくないが、解決すべき事柄を整理してしまえばパズルもほとんどは動的なもので、アクションに絡む時限要素として作用することが多い。実際、このゲームはパズルに悩む時間よりもシビアなアクションに悩む時間のほうがはるかに長い。
そもそもこのゲームのレベルデザインのベースは崩れる足場である。つまり基本的に後戻りを許さない枠組になっているのだ。
アクションに寄せてこうなったのかメインギミックを決めた結果アクションに寄ったのかは定かではないが、こういったゲームにするならば試行錯誤を要するパズルに寄せないのはストレスを溜めさせないという意味で正しくはある。
事実このゲームはもはや死にゲーと呼んでも差し支えないほどよく死ぬが、ステージはそれぞれ大して広くもなく短いためストレスを抱えることはほとんどない。
だが、私はパズルの奴隷であるからして、取得アイテムを壊せるオブジェクトの下に隠すようなパズルとしては卑怯なやり口や、アクションの時間制限や緩和のための手段としてパズルが取り入れられ、アクションの試行のための作業になってしまっている点は容認できるようなものではなかった。
パズルの奴隷たるマヌケにとって好ましくないというだけで、理屈の上では正しくパズルアクションであり、不要なストレスを溜めさせないための工夫も凝らされている。
諸々のデザインの設計思想をどう捉えるか、同じパズルゲーム好きでもその本質の違いを明確にするための一助となる作品であるような気がする。