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パズルゲーム感想アーカイブ

4次元の万華鏡 “Manifold Garden”

果てしなく広がる世界、さらにはそこを縦横無尽に飛び回れる開放感は凄まじいが、振るうには過ぎた力である。

4次元空間を舞台にしたパズルアクション。
ここでの4次元とはある3次元空間と別の3次元空間がシームレスに繋がっていることを指す。裏に回り込むと何もないのに、門の先は別の空間に繋がっていたり、あるいは同じ空間の別の門から出てきたりする。早い話が「どこでもドア」である。
扉で仕切られた一つ一つの3次元空間だがこれもまた特徴的で、一つの構造が上下左右に無限に繰り返された不思議な世界が広がっている。地平線を目指せど果てはなく、ひとたびその身を奈落へ投げ出せば底に着くことなく永遠に落ち続ける。
このゲームに体力のシステムはなく、飛んでいる最中でも移動は可能なので、好きなだけ無限の空間を楽しむことができる。この世界では、目の前の途切れた足場に辿り着くのに、次のループの足場まで落下すればいいという重力を無視した解法が通るのである。
ちなみに無限ループが作り出す幻想的な3次元空間だが、数学的には3次元トーラスに分類される多様体 (manifold) である。これを踏まえるとタイトルがより趣深く感じられるだろう。

パズルアクションの主軸は重力の方向を変化させる能力である。
壁に触れると触れた方向に対して任意のタイミングで発動できる。壁が床に、床が壁に、手の届かない高台も段差になれば降りられる。
この重力操作による移動を大枠として、パズルの枠組にブロックの持ち運びを据えている。ブロックはギミックの動力源として、然るべき場所に置く必要がある。
このパズルにおけるブロックは対応する重力下でのみ持ち運びが可能で、それ以外の重力下ではその場に固まった状態となる。この性質を利用して、別の重力下のブロックのための台にしたり、重力を切り替える壁として使用したりなど、先へ進むために持ち運ぶべきものとしてだけでなく、そのために必要なパズルのピースとしても機能する。
特殊な空間で6面を自由自在に飛び回れて重力の支配を抜けられはするが、先へ進むためには道を選び重力を支配しなければならない。正真正銘のパズルアクションである。

しかしながら、パズルの枠組における解決すべき事柄の作り方に幅がないため、慣れてしまうとブロックとギミックの位置を探すだけの単調な作業になってしまった。組み合わせが見つかればあとは手筈通りに動かすだけで、考えることは何もない。
ループを利用したパズルは歯応えがあるが達成感はない。対応関係をわかりにくくするループの性質によって全容の把握が難しくなっているだけで、繋がりを理解してしまえばやることは単純だからだ。
さらには、その手段となる重力の操作も建物の凹凸を利用してちまちま変えるしかないか、あるいは長い距離を歩き回って重力を変えていくかであり、いずれにしろそこに空間の広がりに見合うほどの気持ちよさは感じられない。
不慣れゆえに全てが新鮮に映った序盤と、ループを含む小さな空間の中に必要最小限のブロックがまとめられていた一部の部屋を除けば、ほとんどが単調な作業でしかなかった。

以上はパズルとしての欠点だが、個人的に一番の欠点は探索の面白みが全くなかったことである。
無限に広がる世界は気分が高揚すると同時に所詮はループでしかないことに落胆してしまうという矛盾を抱えているのもあるが、より大きな欠点はループの最小単位そのものにある。
このパズルは寄り道を一切許さない完全な一本道となっているが、そもそも寄り道をしたくなるような好奇心を掻き立てるものが存在しない。怪しげな窪みや部屋があってもほとんどは何もない。何かがある場所は存在し、そこから始まる別ルートも一応存在してはいるのだが、それには導線がなく、世界の広さとループの錯覚の中に完全に隠されてしまっているので探索の動機となることはなかった。
結果として、探索とはただパズルのギミックだけを探す行為に置き換えられ、対象外の構造物はただの邪魔な段差でしかなくなる。
好奇心という自発的な行動の果てに辿り着くのではなく、目の前のパズルが解けた結果目の前に現れた場所に行くだけの消極的なプレイでは、壮大な幾何学的建造物の数々もただの一背景に過ぎず、世界の果てに辿り着いたところで広い世界を旅してきた感慨はまるでなかった。

どうにも見た目の美しさがプレイ体験に還元されないパズルだったが、観光ツアー化してしまうのも仕方のないことだとも思っている。
プレイヤーは全員が積極性をもってゲームをプレイするわけではないし、このゲームはいわゆる3D酔いをいとも簡単に引き起こすので、探索の好奇心を掻き立てる作りにしてしまえば探索したくとも体調不良を引き起こすがゆえに遊べない葛藤を抱えさせることにもなったかもしれない。分岐を選んだ場合の難易度を鑑みるに、パズルとして難しくしようと思えばいくらでも難しくできる余地があっただろうが、そうなれば見た目の美しさに気を配られることはなく、マヌケの実際のプレイのように、通路としての有用性でしか眺められることはなかっただろう。
何を譲れない要素として最優先にするかでこの作品はゲームとしてもパズルとしても映像作品としても全く違ったものになるはずだ。その取捨選択に紆余曲折あったであろうことは、7年にも及ぶ長い開発期間とクレジットに名を連ねるゲームクリエイターの面々を見れば想像に難くない。
この作品で最も重要視されたもの、揺るがぬテーマはその独自の世界の美しさを最大限に引き立てることではないかとマヌケは思ったのだが、テーマを変えずにベターを実現するアイデアを提示できないマヌケには、それがテーマを実現するベストであると認めるしかない。