親子錯り惑う道程 “Monument Valley 2”
問: 一人より二人の方がパズルは楽しくなるだろうか?
だまし絵パズルの代表作とも呼べるパズルアドベンチャー “Monument Valley” のシリーズ2作目。
基本的なルールは前作と全く同じだが、今作では主人公はローとその子供の親子二人となった。2マス並んで歩く親子で揃ってステージを渡り歩いていくが、ステージごとに切り離された子供を誘導する問題や今まで通り単独で解く問題、別の場所からスタートした親子をそれぞれ操作する問題など、その内容には親子であることを生かしたバリエーションが用意されている。
しかしながら、今作のパズルはルールが前作とほぼ同じであるにも関わらず、なんと前作から明らかに劣化していた。
前作の本編における欠点は今作でも健在である。チェックポイントたるゴールが不明瞭であるにもかかわらず行き止まりが細切れに用意されているせいで、とりあえず行けそうな場所をあたるための道を作っているうちに勝手にゴールに着いてしまう。
それだけならば前作と同等なのだが、今作が劣化であると判断した理由の一つにカラス人間という道を塞ぐ徘徊ギミックの削除がある。
自分が直接操作できない存在を誘導するという間接的に操作する要素がないため、このパズルは途切れた道を探すだけの内容となってしまっている。しかもそれが見つかってしまえば選択肢もないためすなわち正解となり悩むことが一切ない。
前作との単純な比較でも劣化しているのに、もっと酷いのは今作独自の要素である主人公二人制がレベルデザインに全く生かされていないことである。
二人で挑む問題は存在するものの、分割された枠組をただ順番に解き合うだけで二人で協力して一つの謎を解く感覚は全くない。唯一可能性を感じた子供を誘導する問題も大したことを要求しないまますぐ終わってしまう。この有様なら、トーテムに代役させたほうがパズルとしてまだマシな問題が作れるだろう。
こうなってしまったのはストーリーに力を入れたことによる弊害であるのは間違いない。今作のストーリーは親の子育て、親の子離れ、子の自立と段階を踏んで描かれていて、それに追随してパズルの内容も変わっていく。
多くを語らなくとも親子の宿命や苦悩が窺い知れる表現は見事なものだが、パズルはストーリーの理解を手助けする犠牲として完全につまらなくなってしまった。
パズルとしての面白みに欠けていたのは前作の本編でも同じことだったが、そのつまらなさは前作以上なうえ、前作のDLCのようなパズルに特化したおまけもないため終始単調なゲームとなってしまっていた。今作は消極的ながらもパズルと判断するしかないほどに手応えがない。
パズルよりもクリア後のお絵描きのほうが楽しくなってしまっては本末転倒である。
追記
ゲームを通じて森林保護を呼びかけるというPlay4Forestsへの署名を促進するキャンペーンとして新しい問題が追加された。
しかしながら、そこにあるのはそれっぽい背景と先へ進むための作業のいくつかだけで、この作品のストーリーに絡ませた何かがあるわけでも、Play4Forestsの活動を雄弁に表現するストーリーがあるわけでもない。その薄さたるや、なんと10分もかからず終わってしまうほどだ。
ただでさえパズル要素がゴミなのに、今作の最大の強みである演出すらも適当に投げてしまったら、この作品には一体何が残るんだ?
うわべの演出だけで、語る中身もゲームとしての面白さもないゲームのことを私は雰囲気ゲーと呼んでいるけど、このシリーズがそれに堕してしまう姿は見たくなかったなあ……。