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パズルゲーム感想アーカイブ

俺のために死んでくれ “Total Party Kill”

誰かを犠牲に先に進む。得られる結果は同じでも、「お前が先に行け」と「俺が先に行く」は対義である。

異なる能力を持つ3人のパーティメンバーで協力しながらダンジョンの先を目指す2Dパズルアクション。
作品のテーマが “Sacrifices must be made” ということで、先を目指すには血も涙もない同士討ちが余儀なくされる。

パーティは騎士・魔法使い・狩人で構成されている。騎士は斬りつけたものを薙ぎ払う剣を振るい、魔法使いは触れたものを氷漬けにする魔法を飛ばし、狩人は命中したものを壁に突き刺す矢を放つ。
レベルデザインは足場の確保を枠組としたパズルプラットフォームになっているが、これらの能力をなんと味方に放つことで、高台に登る足場やスイッチの重石にしたりすることができる。
クリアは一人ゴールに辿り着くだけでよく、死んだ仲間も次の問題では復活するので遠慮する必要はない。ただしクリアするまでは殺した仲間の能力は当然使えなくなってしまうので、誰をどの順番でどのように殺すかはよく考えなければいけない。能力は死体にも有効なので、時には酷い死体蹴りすら必要になる。
仮にも仲間同士でやりたい放題の殺し合いをして、ゴールに辿り着けば死体には脇目も振らずに生き残りだけで喜び合ったりなど、利己主義者たちのビジネスライクな協力体制には笑いすら込み上げてくる。

しかしながら、パズルのデザインはレベルデザイン含め全体的に中途半端だった。
氷塊と弓矢の組み合わせに汎用性があるせいで騎士が犠牲役の安牌となっていたあたり、仲間の性能差を扱いきれていなかったようにも見えるが、それよりも腹立たしいのが直感で測りかねる曖昧なデザインの数々である。
スイッチに連動した壁などの人を通さず矢や魔法を通す壁、仲間の高さよりもわずかに高くなる氷塊の高さ、足場に届かなくともゴールの周囲に触れればゴール扱いになるクリア判定、勢いや武器を放った距離や位置による移動量の違いなど、見た目を盾にした誘導やアクションでぼかされた挙動の数々に、パズルアクションとして確かな手応えをもって解くことが難しくなっている。あまつさえそれらをパズルの枠組として組み込んでしまっているので、それが模範解答だとしても釈然としない思いに苛まれることとなった。
パズルのレベルデザインに関わらない独立したアクションを求められる場面があったこと、同制作者の他作品の傾向からしてアクションへの傾倒があったのだろうが、届くか届かないかの攻防は指先ではなく思考に求めるような作りであってほしかった。

殺伐とした同士討ちのただそれだけを面白がるしかなく、それ以外はことごとく中途半端という一発芸のようなゲームだった。
犠牲を払うしかない状況をテーマにしているが、このゲームにおける犠牲とは先に進むための手続きの一つに過ぎず、真に犠牲と呼べるような選択の駆け引きは存在しない。
そもそも、多様な能力を持つ冒険者が集まっておきながら、能力の使用先が仲間しかいないという前提からして既におかしいのだ。テーマの落とし込み方を最初から間違っている以上中途半端になってしまうのも道理である。