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パズルゲーム感想アーカイブ

変幻自在の宝箱 “Vignettes”

“vignette” は「装飾枠」や「小作品」等の意味を持つ英単語である。
これらは元々の意味「つる植物」を始まりとして、興味深い変遷を経て生じたものだが、この作品もその名に恥じないような趣の移ろいを有している。

シームレスに形を変える3次元物体を操作して変化を楽しむゲーム。
基本操作は物体を回すだけで、ある特定の視点に合致すると対応する別の物体へと変化し、変化後の物体もまた別の物体へと変化していく。
物体の中には蓋の開閉等の行動を起こせるものや収納物等のアイテムを取得できるものもあり、経過によって変化の内容が変わるという謎解き要素もある。

とはいえ、変化のタイミングは単色か2色程度の簡単な図形に見える状態しかなく単純で、複雑な手順や熟考を要求されることはなく、全くもってパズルではない。
謎解きも物体の観察や関連性への推察が必要になるとはいえど、抜き出してしまえば単純な情報の点つなぎで済んでしまうので、その点でもやはりパズルではない。
そもそも主題を考えると、パズルとしての区分に意味はないだろう。

ではこのゲームの主題が何なのかというと、それは隠されたものを見つけていく遊び、探し物である。謎解きはその手段の一つでしかない。
自称含むパズルゲームにおける探し物といえば、謎解きのために必要不可欠な探索か、あるいは収集要素や実績のために取ってつけたようなかくれんぼばかりであり、マヌケはその作業の退屈さゆえに探し物を嫌っているのだが、この作品は探し物それ自体が面白くなるゲームとして仕上がっていて、マヌケでも楽しくプレイすることができた。
このゲームを注意深く振り返ってみると、探していたのは物体ではなく、実は変化の過程のほうであったことに気づく。つまりその物体から何になるか、その物体で何が起こせるかである。これは紛れもない好奇心であり、それが変化マップと重なりゲームの内外で羅針盤となっているのだ。
さらに、何かができそうだという直感が裏切られることなく期待通りに反応を返してくれる心地よさが乗っかっている。謎解きをより複雑にすることはできただろうが、そうすれば変化の過程ではなく物体同士の関連に着目することとなり、変化そのものへの関心は薄れてしまっていただろう。

探し物自体は楽しかったが、特定の物体に戻すという行為が簡単にできないのはシステムの明確な欠点だった。もしかすると意図的に不便にしてあるのかもしれないが。
変化は全て可逆というわけではなく、うっかり不可逆変化を起こしてしまうと一つ前の物体に戻すのに遠回りな作業が必要になる。他にも、変化条件が重なってしまい意図せず存在を見落とした物体もある。
変化マップは存在するものの現在表示中の物体を基点とした周辺までしか表示されないし、ショートカットとなる物体は一定のグループに属する全ての物体を見つけなければ解放されない。何を経由してそれを作ったかを覚えていなければもう一度手探りでやり直すしかない。
一つ一つ丁寧に見ていかないと、調べ終わらないまま物体が変化してしまい、元に戻ろうにも実感がないまま通り過ぎてしまった物体の数々が思い出せず記憶の迷子になってしまうという、好奇心のアクセルが暴走しやすいゲームに対して、システムは不本意なブレーキを要求する構造になってしまっている。

不便には散々悩まされたものの、退屈に悩まされることは一瞬としてなかった。
パズルではなかったが、一部始終好奇心を掻き立て続けられる楽しいゲームだったのは確かである。

ネタバレ項目: イースターエッグ

この作品にはイースターエッグの謎解きがおそらく2種類存在する。
どちらも Shhh don't tell anyone! と記載されているのだが、非常に複雑な手続き等必要なく簡単に見つけられるような謎解きであること、またこのイースターエッグの内容そのものについて言及したいことがあるため、その存在と内容について触れることをお詫びしながら追記とする。

イースターエッグはこの作品のデモ版および草案となったゲームだが、言及するのは草案のほうについてである。
制作者曰く、当初は a somewhat narrative game rooted in real-world places を作ろうとしたようで、物体を回して変化させるというゲームの大枠は同じだが、草案における探し物は控えめで、1日の生活を物体の変化を通して辿るという内容になっている。
マヌケは完成版の作中で、ピルケースを始点として目覚まし時計で終点となる一連の不可逆変化に何らかの物語性を感じるということがあったが、あれは元々関連のない物体をそう見えるように繋げたのではなく、この物語性のほうがオリジナルだったというわけだ。

この草案に関して、制作者は it turned out to make for a very boring game と述べていて、一連の変化の物語性に唸ったマヌケとしては果たしてそれほど酷いものなのかと疑っていたのだが、やってみるとなるほど確かに退屈だった。
面白かったのは最初の1日だけである。起床→出社→帰宅→睡眠と1日の流れが完全に固定されていて、変わり映えがしない日々では何かしらの変化を探さずにはいられない。そしてそれが目標となれば、絶対に変化が起きない場所はただの作業でしかなくなる。さらに1日が固定されているがゆえに、変化の余地がなくなるほどに退屈な作業の割合が大きくなるという悪循環に陥ってしまう。
結果的に、物体の変化を楽しむという遊び方については退屈な時間がなかった完成版が正着だったと改めて納得することとなった。