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パズルゲーム感想アーカイブ

キューブの閉塞迷宮 “Euclidean Skies”

ルービックキューブといえば、手軽でありながらも複雑なパズルであるだけでなく、美しい数学的モデルでもある。
もし、その対称性を壊したとしたら、その美しさはどうなるだろうか?

前作と同じく、行や列をまるごと回転することのできる立体上を歩いてまわり、全ての敵を殲滅するパズル。
ただし今作は前作とは違い、舞台となる立体の回転軸が必ずしも立体の中心にあるわけではなく不定であるという特徴がある。非対称な回転によって回せば回すほど元の形から崩れていくので、ルービックキューブと同じ感覚でいじろうとすると面食らうことになるだろう。

不定な回転軸によってもたらされる難しさとは見た目が崩れていくことだけではない。今まで内部に隠されてきた中身のブロックが障害になってくるのだ。
回転軸をずらした結果足場として使えるブロックの数は見た目以上に少なく、これらを適切な形に変形していかなければならないのだが、前作同様ブロックのそれぞれの面の向きが重要であるという事実も変わらないので、ただでさえ馴染みの薄い回転方式の立体パズルであるにもかかわらず、逆算は前作とは打って変わってかなり複雑になっている。ブロックの位置だけを合わせても面が合わない、面が合っても向きが合わないなど、パラメータが揃わないもどかしさを感じる場面は多い。
前作における列の回転は単なる移動ツールに過ぎなかったが、今作で軸の位置を可変にすることでこのパズルは遂に従属して動く難しさを得た。
一応、空白のブロックが敷き詰められた対称な立体とみなせば一般化されたルービックキューブと同じ理屈が通ってしまいはするが、それでも独立したパズルゲームとして昇華するためのオリジナリティは十分だろう。

モチーフの生かし方がうまいのは確かだが、しかしながらそれがパズルゲームとして面白いかはまた別の話である。
今作では立体が不定であるためか、敵を倒す方法は同じ「マス」に進入することではなく、同じ「空間」に進入することになっている。つまり、実は同じ面に立つ必要はなく、ねじれた方向からでも敵を倒すことは可能なのだが、そのことに関する明確な説明はない。
また、主人公が直接手を下す以外にも、ブロックをぶつけることで倒すこともできるのだが、後半になるとこの手法を使えない敵も出てくる。そしてこの敵にブロックがぶつかるとどうなるかといえば、移動ができず引っ掛かってしまう。
移動を阻害する敵ではない障害物が存在する問題もいくつかあるが、頻度でいえば敵による意図せぬ引っ掛かりのほうがはるかに多い。
この引っ掛かりが頻繁に起こる状況がとにかくストレスを生むのである。敵の数は少なくなく、さらには見えない位置に配置されているケースもあるので、とりあえず盤面を確認しようにも引っ掛かり、こう動かしてみたらどうだろうと試行をしてみようにも引っ掛かる。そしてようやく動かしたところで意図せぬエンカウントで事故死してやり直しをさせられる。
そんなストレスに晒されることとなるゲームの環境だが、前作でも欠点として挙げた操作性に改善はなく、視認性は一応拡大縮小に上下に視界を移動させられるようになったものの、広い盤面のくせ定点でしかも底を見上げることは未だ不可能とパズルの規模の拡大に即した進歩はなく、さらにはタイトルに則ってか空を背景にしているようだがなぜか視界を著しく遮る雲を配置している始末と、こちらもまたストレスを生む要因となっている。
とりあえずいじってみようという最も軽い試行が通らないパズルを一体どうして楽しく解くことができるだろうか?引っ掛かる、思い通りにならない、見えないと、もうとにかく苛立つばかりの状況では納得も何もなく、そこにあるのは冷静な思考から最もかけ離れた怒りの感情だった。

思うように動かせない苛立ちは面白さや達成感を完全に打ち消してしまうほどでクソゲーと呼びたくなるほどだが、ルービックキューブというモチーフをまた別のパズルゲームへと昇華する試みは2作品をもってして遂に成し遂げられたこと、そして今作におけるそのアイデア自体は面白いと思ったので、かろうじてクソゲーとは呼びたくない気持ちのほうが勝った。
ただ難しければいいわけではないというのはパズルに限った話ではないが、このような形で見た目の面白さと実際のプレイ体験が噛み合わないというのは悲劇とすら言える。

関連項目

シリーズ作品