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パズルゲーム感想アーカイブ

色ボケ死者省員 “Felix The Reaper”

仕事は淡々とこなしてくれ……。

The Ministry of Deathに勤務する死神Felixは、その対とも言える省庁、The Ministry of Life勤務の女神Bettyに恋をしてしまった。Felixは影の中でしか生きられず、Bettyは光の中でしか生きられない。
それでも彼はめげずに過酷な現場仕事へ身を投じ、職務中は彼女に振り向いてもらうためのダンスの練習に明け暮れる。
彼の職務内容は下界のターゲットが定められた因果およびタイミングで死ぬようにセッティングすることであり、これがこのゲームのパズルの内容となっている。
太陽の位置と物体が作る影を道として、指定されたものを指定のマスまで運んだり、指定のスイッチを起動させたりするなどといった特定の動作を完了すればクリアとなる。
3Dパズルを名乗っているが、盤面はグリッド制で厳格に区切られているため、実際は高々2.5Dパズルといったところ。

操作キャラクターでもある主人公Felixは影となっているマスにしか存在できないが、彼の移動範囲を決める影は盤面上の物体と太陽の位置で決まる。低い木であれば影は短く、高い木であれば影は長く伸びる。同じものでも太陽が高ければ影は短く、太陽が低ければ影は長く伸びる。影を作り出す物体は盤面に据え付けられたものばかりではなく、箱やドラム缶等Felixが持ち運ぶことのできるものもある他、レバーを操作したりスイッチを押したりすることで位置を変えることのできるものもある。
また、Felixは太陽の位置を東西南北に変えることのできるダイヤルを使うことができ、問題ごとに定められた方向に限り時計回りで回すことができる。太陽の位置が変われば影の位置も変わるので、太陽ダイヤルを回す際は変更後もFelixが確かに影の中にいられるようなマスにいなければならない。
その内容は、数少ないいくつかの手段を整理したり組み合わせたりすることで自分の通り道を確保していくパズルであると言える。

全部でたったの30問、高難易度版アレンジ問題を含めても53問と問題数こそ少ないが、一つ一つの問題がパズルとして良く練られた歯応えのあるレベルデザインだったため、充実感のあるプレイとなった。
物を運ぼうとすれば影が消える、ギミックを操作すれば帰り道がなくなるなど、自分の行動は作り出す道と消える道の両方をもたらすので、組み合わせ方や順序の一つ一つがその後に大きく影響する。
その上、目的を達成するために必要なものは最小限しかないので、箱がもう1個があればとか、あのたった1マスが通れればなど、あと1手が足りないもどかしさを存分に感じることができる。
盤面のサイズは大きめで、さらに見かけ上の通り道を広く見せて重要な繋ぎ目のマスを狭くすることで思考を逸らすというダミーを前面に押し出したレベルデザインが目立ちはするものの、目的と順序の整理をしていけばそうするしかないと辿り着けるようなものであったり、急がば回れを体現したような俯瞰的思考を必要としたりなど、広さゆえにそれらを冴えた一手のように輝かせてみせてくれる。
解けた時の達成感はゲームの演出も相まって、自分も踊り出したくなるようにすら感じるほどだ。

しかしながら素晴らしいレベルデザインに反して、それ以外のデザインは欠点が目立つ。
本編にあたる問題では太陽ダイヤルの使用回数、光の中に取り残されるミスの数、行動回数、歩数を計測して評価を下されるが、太陽ダイヤルの使用回数と歩数はかなり緩めに設定されていてパズルとして引き締めるためのものではないし、行動回数は仕様上無駄に計上されやすく全く意味がないし、ミスの数は試行を制限して注意深さを要求するだけと、総じて何のための評価制度なのかが曖昧である。昔は加えて厳しい時間制限があったらしいのだが、現存するタイムアタック問題などを見ると、熟考などのためではなくプレイをただ神経質にさせるためのもののように感じてならない。
また、盤面はストーリーの演出上のフィールドも含めているため無駄に広く見づらく、カメラがFelix中心でその他の定点に動かせないため視認性が悪い。このパズルはFelixの行動をポイントタップまたはドラッグによって指定するが、マスより物、奥より手前のものが優先されるという判定の癖があるため、手前のマスを指定しようとしたら奥にある物に吸われてしまったり、奥のマスに行かせようとしたら手前のマスに吸われてしまったりなどと移動先を間違えることが起こりやすいため、カメラが自由に動かせないというのは深刻な欠点である。評価制度や時間制限を加えるならなおさらである。
太陽の位置と物の大きさの関係を影の長さとしてパズルに落とし込むために立体的なフィールドを採用した理由は十分にわかるが、問題ごとに太陽の高さや物の形が違うせいで伸びる影の長さも違い実際に確認する一手間が必要でそれほどわかりやすいわけでもない。影を伸ばす力とみなせばパラメータの一つでしかないのだから、操作面での不満に繋がるくらいならいっそ完全な2Dにしてしまったほうがパズルの奴隷たるマヌケとしてはやりやすかった。

だが、この作品にはそれ以上に重大な欠点が存在する。それはFelixが踊る意味が全くないことだ。
パズルを解く上で操作キャラクターを踊らせることで得られるものは何もない。体勢や向きや踊り方など、踊るからこそ実現できそうなパズルのルールとなる事柄や性質といったものは何もない。
Felixの踊るような動作は制作者によるゲームのセールスポイントの一つであり、プロのダンサーの動きをモーションキャプチャを用いて取り込んだとのことでなるほどキレがあり見事だが、パズルには全く関係がない。それどころか、踊りを導入したことで移動が遅くなってしまいテンポが悪くなってしまっている有様である。このパズルは盤面の広さとルールの兼ね合いもあり往来が多く長いため、テンポの悪さはなおさら酷く映る。
さらに言えば、ストーリーの面でも踊る意味は全くない。FelixとBettyのラブストーリーに踊りは終ぞ関わらず、あの脚本ならばあってもなくても変わりはしなかっただろう。
踊りながら職務を果たす部下に上司をはじめとした同僚たちが苦言を呈するのも納得である。パズルの奴隷たるマヌケとしても、なまじパズルが真面目に作られているため、素直に解かせてくれと文句を言いたくなってしまう。

レベルデザインだけが素晴らしいパズルという、マヌケにとって最も悩ましい構成の作品だったと言える。
内面と外面の融合が難しいことなのは確かだが、せめて互いに足を引っ張り合うような愚は回避されていてほしい。互いの作りたい物の衝突を回避して好き放題に作ってしまえば、その皺寄せが行くのはプレイヤーである。そのようなコストを喜んで払えるほど私はできた奴隷ではない。