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パズルゲーム感想アーカイブ

好奇心に拡がる次元 “FEZ”

“fez” とはトルコ帽を指す単語である。
冠ればGomez Timeの始まりだ!

2次元の一住民、主人公Gomezの世界は次元を超越する力を持つ帽子を授かったことで一変した。
このゲームは、不思議な帽子の力を駆使してジャンプで足場を乗り越え、世界中に散らばったキューブの欠片を集めてまわる2.5Dのプラットフォームアクションである。
Gomezは自らを映す側面の4面のうちの1面を選び切り替えながら広大な世界を渡り歩いていく。同じ場所でも面を回すことで見えなかった足場が現れたり、離れた場所同士が繋がったりする。

とはいえ、アクションは滑りやすいくせ勢いを乗せにくい独特の慣性のせいで爽快感もなく、プラットフォームとしてのレベルデザインも捻りのない単調な内容ばかりである。面の切り替えが手段ではなく条件となる場面もあるが単純なアクションの制限として働くものばかりで、パズルのピースとして機能しているものはない。
先へ進む道がなければ視点を切り替え足場を探すという行為の繰り返しであり、そこには何の面白みもなかった。

しかしながら、マヌケが思うにこのゲームの主題はアクションではない別の何かであり、それは間違いなくパズルだった。
以下にその詳細を記すが、マヌケの判断によって全編ネタバレ項目として目隠しさせてもらった。少々狭苦しいだろうがご理解いただきたい。
一つ確かに言えるのは、この一見単調なアクションは主題そのものではないにしろ、主題を表現するものの一つとして正しく機能していたということだ。

ネタバレ項目: ADVENTURE IS READY! IT'S GOMEZ TIME!

このゲームの正体は骨太の謎解きゲームである。
帽子を授かる場面からして未知の言語で語りかけられ、始まりの村から既に取り逃がしが出る始末。世界各地に点在する意味ありげな石柱や壁画の数々はこのゲームがただのアクションではないことを静かに物語っている。
ヒントは一見すると飾りや模様にしか見えないものばかりで、謎を解くにはその指す意味や法則を理解しなければならない。

つまり、このゲームの主題は高次元化そのものである。視点を変える帽子の力はそのための道具の一つにすぎない。
ここで言う高次元化とは世界の広がりとも言い換えられる。今まで見えなかった存在が見えるようになることで世界が広がるのである。
Gomezが帽子の力を得て3次元を認知できるようになったように、プレイヤーもまた法則を知ることで世界を正しく捉えられるようになるのだ。

このゲームが間違いなくパズルと呼べるのは、観察と推測の試行錯誤なくしてそれらの理解ができないようになっているからだ。
ヒントを理解するためのヒントはそれぞれ広い世界の中の一箇所を選んで隠されているので見つけるのは容易ではなく、しかもそれは作中の世界に合わせた表現で描かれているのでヒントとしてわかりやすいわけでもない。
ヒントを紐解く過程ですら骨が折れるのだが、紐解いてようやくスタートラインとなる謎も少なくない。
この世界は根気なき者には決して秘奥を明かさない。踏破するには多くの紙とペンが必要になるだろう。

そして、このパズルの最も恐ろしいところは、誰かの指図があるわけでも、レベルデザインに親切な導線があるわけでもないのに、知らず知らずのうちに好奇心を掻き立てられていて、それが謎を解き明かす一番の原動力として働いたことである。
ゲームだけを見れば一部始終が本当にただのアクションで、単にエンディングを見るだけならば大して謎を解く必要もなくクリアできてしまう。
知る必要もないことでも知らずにはいられなくなる。目を逸さずにはいられなくなる。数多の謎が世界に溶け込んでいるというたったそれだけで、勝手に世界に魅了されたのである。

ただし、全ての謎が綺麗さっぱり解けるわけではなく、それを阻止しにかかるような意地の悪さが節々に表れていた。
その内容は、例えるならばジグソーパズルのピースの1個だけを完全に隠すイタズラである。謎解きを避け普通のキューブだけ集めようにも、欠片が一つアンチキューブの部屋にあるため完全に回避することはできない、という事実がその好例である。その意図したような一欠片の抜き取りは、プレイヤーの好奇心に付け込んで意地悪を楽しんでいるようにすら見える。
マヌケは通常のキューブとアンチキューブの計64個の回収はノーヒントでもなんとか達成できたものの、3個の赤キューブの回収はほとんど外部ヒントに頼ることになった。1個は偶然手に入ってしまったものの推理は外れていて、1個は位置の整列を失念していたために迷走の果てに戦意喪失、1個はノーヒントの事実を認めたくなかったが外部ヒントでノーヒントを確定させられて完全に降伏した形である。

とはいえ、確かに酷く捻くれてはいるが、同時に解かれることを強く望んでもいるとも感じられた。
邪悪ではあるが完全な邪悪になりきるわけではない。そのバランス感覚は実に絶妙で、だからこそ余計に腹立たしくもなる。
赤キューブの完成形はハートを模したもので、展示用の部屋をわざわざ設け、そこでは “Love” の名を冠するBGMが流れている。簡単には見つかりたくないが、見つけてくれた人へ捧げる想いの表明として、これ以上にふさわしいものは他にない。
マヌケはマヌケゆえに賜る資格はなかったが、自力で手にした人にはきっと忘れがたい経験になるだろう。

他に謎解き以外の欠点として、謎解きが面白くなるほどアクションのつまらなさが際立つようになるという構造の欠陥もあった。
謎解きが顕現するにつれアクションはプラットフォームからただの移動手段へと成り下がっていくが、世界の広さに反してショートカットは貧弱で、アクションのつまらなさはそのまま謎解きのテンポを阻害する不便さに繋がってしまっていた。
また、ガイドのDotは役に立つことを何も言わないくせギミックに反応するたびにキラキラとうるさいのでいないほうがマシだった。
先回りでヒントを提示したがるありがた迷惑なガイドキャラクターというのはよくある話だが、今回Dotに付き合わされる羽目になって、ろくなヒントも言えない無能ガイドはより煩わしいのだという知見を得た。

節々に表れている意地の悪さによって決して良問とは呼べず、アクションの単調さとDotのやかましさに苛立つことは多いが、好奇心を掻き立て強烈に惹きつけてやまない世界の魅力は本物である。
ぐちゃぐちゃに塗り潰されたメモ帳と共に、マヌケにとってこのゲームは思い出に残る一作となった。

余談だが、作中に出てくる文字の解読はヒントとしていろは唄に相当するフレーズが提示されているのだが、無教養のマヌケはその知識を持っていなかったため、対応先の言語にアタリをつけて頻出語句を当て嵌めていく形で解読した。

(FEZ) 作中の架空言語Zuish Languageによる、Zu City住民との会話
解読が一気に進むきっかけになった会話。

図らずも直近にプレイしたゲームで同様の謎解きをした経験が生きた形である。
このゲームを選んだのはただの気まぐれで意図したわけではなかったのだけど、まさか立て続けに言語解読をすることになるとは……。