拘束と放免の反復 “Kenshō”
見性とは自己を省みて悟りへと至るプロセスを指す仏教用語である。
そこに自然再生のニュアンスはどこにもないはずなのだが……。
全体が同時に動くタイプのスライドパズルから派生したマッチ3パズル。
パネルがまばらに配置された5×5盤面で1手ずつ動かしていくが、1手動かすごとに動かした方向から指定された色のパネルがランダムな場所に1枚追加されていく。同じ色のパネルが3枚縦か横に連なると消すことができるが、消しきれずに盤面がパネルで詰まってしまうとゲームオーバーとなる。
盤面には “key piece” なる特別なパネルが常に1枚存在していて、それを5枚分消すことでクリアとなる。
全体が同時に動くというそれだけでも既にねじれたルールなのだが、このパズルは解き進めるごとにギミックパネルが追加されていくので制限はどんどん厳しくなっていく。
常に追加されるパネルに晒され続け、マヌケは幾度となく、そしていともあっさりと詰まりそうな状況に陥ってしまっていた。
しかしながら、そのまま詰んでしまったケースというのは案外少なく、1手が見つかればそこから一気にパネルが繋がっていき、窮地を脱することができた。
これはパネルが詰まるほど移動を固定しやすくなること、2枚連結したパネルのストックが溜まっていくことによるものだろう。
もうダメかもしれない、という絶望感から一気に立ち直っていく高揚感は堪らないもので、このパズルを解いている時はこのループの繰り返しである。
ただし、そうした手に汗握る気持ちを感じていられるのは序盤だけだった。全体が動くスライドパズルでは隅に追いやる手法が便利に働くことがしばしばあるがこのパズルも例外ではなく、コツを覚えればkey pieceを狙い撃ちして残ったゴミを掃除するという手法が出来上がる。
こういったサイクルに落ち着くことを見越してか、key pieceの消去位置を縛ってきたり、ランダムに位置を変えるブロックなどで対処してくるようになるが、そうなるとやむを得ない1手のためだけに手間のかかる後戻りをやらされるようになってしまうため、必然的に目当ての場所にパネルが来ることを待つだけの運ゲーと化す。
ゲームオーバーになっても大幅に巻き戻されることはなく、集めたkey pieceを引き継いだ状態でリスタートするので、場合によってはあえて埋めてしまって盤面をリセットしたほうが簡単になることすらある。こうなってしまえば気持ちが昂ることはもはやなく、あとはただの作業ゲーである。
序盤に覚えたひりつくような緊張感と、そこから脱却した時の解放感、そしてそのループはとても気持ちよかったのだが、冷めるまでは早かった。
余談だが、マッチ3パズルはスコアアタックを主題としたエンドレスや、別のゲームにおける何かしら、例えば攻撃の手段などで導入されることが多いので、パズルとして区切りが欲しい身にはハードルが高かった。
そんな中、このパズルはギミック別に問題集が分けられていたため、すっきりした気持ちでプレイすることができた。このパズルも最後にはエンドレスモードが解放されて終わるものの、5個のkey pieceを集めてクリアというルールは変わらず、問題も過去の問題集からの出題である。
だが気になるのが4個消し以上や連鎖で得点表示があったことである。このパズルにそういったスコアをつける機能はないのだが、これはつまり本来はそういったスコアを競うエンドレスなパズルになる予定だったのだろうか?
オミットされたのは癒しと結びつけたパズルにするためか、そもそもパズルよりもカットシーンや演出にこだわりたかったのか……。区切りがあるからこそマヌケは安心してプレイできたのだが、俯瞰してみるとこれほど中途半端なこともない。