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パズルゲーム感想アーカイブ

隙間貫く大道芸一座 “Kiwanuka”

大仰な見た目に反して内容は単純、強固な繋がりに反して記憶は脆弱。

封印されたKiwanukaの民を救うべく、一族の力を合わせて道を造り切り拓くゲーム。
彼らを結集させてやれることは高く伸びる肩車を組むことだけだが、この巨大な肩車はどんなに勢いよく倒れても、その上をどんなに重いものが通ろうとも決して壊れない。
プレイヤーは一族を導くリーダーとして先頭に立って彼らを率いるだけでなく、肩車の作成と操作、解体の指示を出すことができる。リーダーが囚われの民の元まで辿り着けばクリアとなる。

移動および肩車の組み上げは障害物に制限されるが、組んだ肩車は両端にしか判定がなく、障害物を無視した2点を接続することができる。壁に阻まれても肩車を下から回して接続してしまえば壁の向こう側に行けてしまう。
このゲームは肩車の二面性をもって重力を克服するという点でパズルプラットフォームと言える。

しかしながら、やっていることは極端に言えば交点を持たない円が作図可能な中心を探るだけのことでしかなく、作業のような内容で面白くなかった。
一族の総数の関係で肩車の高さや盤面に同時に残せる肩車の長さの合計に制限はあるものの、十分すぎるほどの人員がいるし肩車の解除はどこからでも簡単にできるしでリソース不足に悩まされることもない。
さらに、レベルデザインがパズルの思考よりもアクションの集中を求めるべく傾いてしまっているのもまた面白くない。渡っている途中に肩車を解除したり、肩車を破壊する動くギミックの間隙を縫って肩車を架けたりなど、解き進めるほどタイミングの見計らいを要求される場面が増えてくる。

見た目はパズルとしていくらでも複雑にできそうなルールだが、リソース管理システムの放棄かアクション傾倒の結果、ストラテジーの跡形もない単調なアクションになってしまっていた。手応えもなければ達成感もなく、解いている時に感じていたのはただただ苛立ちばかりだった。

余談だが、このゲームは1時間程度で終わるほどに短い。そのくせ全問クリアに至るまでに、なんと2回もセーブデータを消失している。下手したらFCのゲームよりも脆いのではないだろうか?
エンディングで THE PEOPLE OF KIWANUKA NOW THEY LIVE IN A MEMORY IN YOUR MIND FOREVER って言われても、もう自虐的な皮肉にしか見えないぞ……。