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パズルゲーム感想アーカイブ

軌きょうぐるぐる “Loco Looper”

“loco” とは狂った状態を指すスペイン語の単語である。
狭い空間の中を縫う非現実的な軌道、その上を走る長編成の電車……なるほど確かに狂っている。

トレーラーが限定公開なのが気がかりだが、公式サイトで公開しているので共有可と判断してここでも紹介させてもらう。
グリッド制の土地に、あらかじめ用意されたレールのパーツを敷いていき、一つの閉じた軌道を完成させる配線パズルである。
閉じた軌道とはつまりレールが途切れなく繋がった状態であり、一つのとはつまり盤面上のレールが全て一つの軌道の中に組み込まれた状態を指す。余ったカーブレール4枚で閉じた円形の軌道を作って間に合わせても意味がないということだ。
全てのレールを使い切らずともある程度消費した状態で閉じれば一応クリアすることはできるが、全てのレールを使い切ってのPerfectクリアが望ましく、以下もそれを前提とする。

序盤は退屈になるほど簡単だが、このパズルは徐々に本性を露わにしていく。
レールの種類と数が問題ごとに定められているということは、つまり場合によっては無理やりカーブレールを消費して入り組んだ軌道にしたり、カーブを節約した直線的な軌道にせざるを得なくなるということだが、このルールの本質は偶奇性にある。
直線を嵌めればクリアなのにカーブしか残っていない、2枚必要なところを1枚しか残っていないなど、そういったあと一歩が合わない状況というものがこのパズルでは頻繁に現れる。
それらのズレはレールの組み方によって生まれるものだが、レールが限られているということは、それらのズレを後付けで対処するのではなく、それを見越したうえで解かねばならないということでもある。
さらに、橋やトンネルといった場所とアプローチを制限するパネルが登場するようになるとより難しくなる。縦に通るか横に通るか、一気に渡るか分割にするか。構想を立ててそれが通るかをまず考えなければならない。構想から間違えてしまえば偶奇は揃わず永遠に解けない。
このパズルはプラットホームの直線レールを除いてレールが固定できる場所がないため、構想を練る段階から既に選択肢が広く、その広い選択肢の多くが偶奇性によって潰されるという構成になっているので一筋縄ではいかない。
全ての問題が等しく洗練されているわけではないし、固定できる目印がないといえど偶奇性は落とし穴にバリエーションを持たないので、威圧感に反して存外にあっさり解けてしまう問題は多いが、余白が削られるほどに狭まる筋道の圧迫感は確かなもので、中には長時間かかるような難問も存在している。
総合的に見れば歯応えは十分だ。

このゲームはなぜかそれぞれの問題の初見クリアに費やした時間を記録していて、どの問題にどれだけ頭を悩ませたかがデータとして確認できるようになっている。
マヌケのマヌケっぷりが可視化されるシステムはマヌケがマヌケであるがゆえにあまりいい気分ではないのだが、マヌケの記録は簡単な問題は数分、難しい問題は数十分、特に難しい問題は1時間以上と、それぞれの問題数の割合は比率として5:1:0.1といったところだろうか。
だが、体感の難しさは記録ほど簡単だった印象ではない。このパズルをプレイして、久しぶりに良質なおつまみパズルをプレイしたという実感がある。

ただし、素直にそう呼ぶには少々抵抗があるような難点が色々とあるのも確かである。
まず、問題数が100問ほどと、おつまみパズルと呼ぶにはやや少ないだろうか。
また操作性に癖があるため、おつまみパズルの要件の一つである直感的な操作性を満たすかは疑問が残る。レールの補完は既設レールに強く依存するため、直感的に引くには全てを取り除かなければ都度引っかかってしまう。決して不便ではないが、しばしば融通の利かなさを感じてしまった。

ちなみに、クリアすると完成した線路の上を列車が走るようになる。パズルのルールに直接の影響はないとはいえ、外面を無駄に立体的にしたのはこのためなのだろうか?
これのせいで描画の処理で無駄に重くなったり、視認性に影響が出たり、操作の妨げになっているのだとしたら、マヌケにとってはそれは余計でしかない。
それに、あんな狭い空間の中、長い編成の列車を走らせて楽しいと思えるような感性をマヌケは持ち合わせていない。完成したパズルはただそれを眺めるだけで私は十分だ。