纏綿のダブルクロス “Logic Flow”
あらゆることが疑わしくて、あらゆる理由で心が折れそうになったパズルだった。最後まで駆け抜けられたのは奇跡に近い。
一つの疑念がマヌケの手を止めたように、一つの希望がマヌケに考える力を与えてくれた。ただそれだけが心の拠り所だった。

トレーラーが見つからなかったため画像に差し替え。
滑り始めると何かにぶつかるまで止まれないブロックと壁で構成されたパズル、つまりマヌケが滑る床のパズルと呼んでいるタイプの一つである。
同じ色同士でぶつけると対消滅する菱形のブロックを全て消すことでクリアとなる。
このパズルには大きな特徴が二つある。
一つは移動を止める存在なくして移動の操作が通らないというものだ。進行方向に壁がない、無限ループに陥ってしまう等で移動を止められない場合、その方向に向かって操作することはできない。
そしてもう一つは、ブロックに対して何らかの作用をもたらすギミックもまた操作可能なブロックとして設定されていることだ。ギミックブロックは移動の操作を行うと菱形のブロックと同様にただの滑るブロックとして働き、停止時は滑るブロックに対して何らかの作用をもたらすギミックとして働く。
これら二つの特徴がルールとして君臨していることで、このパズルは最初から大きくねじれたものとなっている。
滑る床のパズルは盤面を壁で囲っていることが多いがこのパズルではそうではなく、内側だけではなく外側ですらも壁は最小限しか用意されない。中には一切の壁が存在しない問題も少なくない。盤面の囲いを無意識的に壁として認識してしまうという滑る床のパズルの不文律に染まってしまっていると、それを忘れるまでは試行すらも苦労する。
そして、それは滑りを止める存在を壁よりもブロックに任せているということでもある。つまり、そこでは一方が動けばもう一方が動けなくなるという状況が頻繁に発生するのだ。壁がなければブロックの外には出られない以上、動かせば動かすほどブロックは全体的に狭まっていき、ブロック同士身動きがとれなくなっていく。
さらに、ギミックが床にあるのではなく、同様に滑るものとしてブロックになっているのだからなおのこと難しい。外側でストッパーとして使うべきか?移動範囲を広げるためにあえて中心まで動かすべきか?制限にも選択肢にもなり得る存在という確定の難しさがパズルをより難しくしている。
ゴール地点を明確にしないというクリア条件の曖昧さ、直感から外れたルールの制限による試行のやりにくさ、滑りを止める存在同士が利き合っているがゆえの身動きの取れなさ、ギミックの作用による選択肢の意外な広さと、このパズルはこれでもかというほどのねじれに満ちていて、さらに初期の選択肢の広さに反して手を進めれば進めるほど見た目と同様に急に狭まっていく圧迫感と、覚えるもどかしさも相当である。
このパズルは素で難しいだけではなく、さらに手数評価まであるのだからより難しい。
しかもこれらの手数は機械的に算出したものをいたずらに設定しただけの雑な後付けではなく、1手の減らし方に妙手を必要とする問題を厳選した結果で間違いないと確信できるものだ。
安直または再帰的な解法は概ね最小手数とはいかず、時には解法を根本から見直す必要が出ることもある。やっと辿り着いた解答ですらも再び解き直しを求められるのだからこのパズルの底は深い。
しかしながら、この難しさは欠点と呼べるほどでもあるようにも思える。
私としては手数評価は必要なかった。クリアに必須ではないにしろ、それを主題とした問題は概ね簡単で、その分を手数で補おうとしていたように見えた。加えるなら、このパズルは全体的なアプローチを問うより、一つ一つのブロック同士の離合の難しさを総合したレベルデザインのほうがエレガントにまとまっていた。
このパズルはBasicと、DLCによって解放されるAdvanced、Hard、Extremeの全部で4種類の問題集があるが、手数込みの場合全体で綺麗にまとまっているのはBasicだけだった。AdvancedはBasicよりも簡単で手応えがないという有様で、Hardは難しさをほとんど手数に依存していて、Extremeはその名に恥じない難易度ではあったものの全ての問題がそうというわけではなく落差が激しく、手数を加味すると一部の問題が他の問題の印象を忘れさせるほどのえげつない難易度となっていた。
プレイ時間の比較でいえば、手数込みのBasicを1とすれば、Advancedは手数込みでも0.5、Hardは通常クリアで2、手数込みで5、Extremeは通常クリアで5、手数込みで10といったところだろうか。
このExtremeの10が平均的に分散しているわけではなく、大半が一部の問題に吸い取られていることを考えると、他の問題の印象が薄くなってしまうのも明白だろう。それらばかりに支配されて、難しいパズルゲームとしてではなく、難しい問題としての印象が強く残ることとなってしまっている。
Extremeで時間がかかったのは純粋に難しかったからというだけではなく、システムに対して不信を抱いていた、ひいてはそもそもパズルが解けるかどうかすらを疑ってしまっていて、それである程度やる気を失っていたという言い訳もある。
というのも、このパズルはリスタートの処理が甘く、リスタート前後の試行によって盤面の再構築を失敗したり手数の計算を誤るということが起こり得る。
結果的に、手数のカウントは表示上間違えているだけで内部処理を間違うことはなく、全ての問題が規定の手数で確かにクリア可能であることを確認できたが、これはあくまでクリアしたからこそ得られた確信であり、プレイ中にそれを保証してくれる存在はなかった。ヒントを通り越して答えを閲覧できる機能があったため、その存在がある程度の担保にはなったものの、本当に解けるかどうかの確信に至るほどではなかったし、絶対解けないと決めつけておいていざ正解を覗いたら実は解けました、なんて失態は奴隷の意地が許さなかった以上、マヌケには確認のしようもなかった。
一度疑いが浮上してしまった以上、思考には常に疑惑が付き纏っていた。ただでさえ難しいパズルに、このような状態でまともに挑めるわけがなかった。
だが、マヌケは一番疑ってかかっていた問題を解いたことで、全ての問題が間違いなく解けるはずだという自信を得ることができた。
解けないことを確認するために半ば総当たりの真似事をしてみたら存外に解けてしまって、これが契機となってさらに手数を諦めていた問題が解け、確信に近い自信となってこれが最後まで解ききる原動力となったのだ。
このプレイ体験は非常に深い感慨をもたらした。特に確信を得た瞬間の達成感は普通のそれとは違う奇妙な感覚だった。自らの愚かしさが棄却されたことへの歪んだ優越感、心を折るほどまでに精巧に作り上げられたレベルデザインへの敬服、疑わしい状況から一転して開けた展望に湧き上がった熱意……他にも色々とあるが、これらの感情が一気に押し寄せてきて、自分でも気持ち悪くなるほどの快感を覚えたことを記憶している。
唯一無二の体験として思い出深い一作にはなったが、それでもやはり一つのパズルゲームとして見るならばBasicだけで十分という思いのほうが強い。
飾り気のない無駄を削ぎ落としたデザインは好印象だがルールを雄弁に説明できるほど象徴的というわけでもなく、SEすらもない味気なさは流石に寂しく、このようなストイックな環境で鬼のような難易度のパズルではゲーム体験としてではない無機的な苦痛が上回る。
ルールの持つ本質的なねじれの強さと制作者の確かなレベルデザインへの審美眼によってBasicだけでも骨太のパズルゲームとして良作たり得るが、それ以降は相当の覚悟なくしてやれるものではないことは留意すべきだろう。