m-log
パズルゲーム感想アーカイブ

ミッション・リレー “Loop”

立場が替わることで世界の見え方の違いに対して心境が大きく変わるというのはままある話だと思う。

からくりに満ちた広大な寺院を舞台に、とある一族の使命にまつわる物語が展開されるゲーム。
まだ幼いながらも一族の者としての自覚を得た主人公は、自身を導いてくれる年長者の助けを借りながら先を目指すこととなる。

寺院では一人の力だけではどうしようもないギミックや分かれ道が幾度となく立ち塞がり、先へ進むには二人で協力してそれらを正しく処理していかなければならないのだが、しかしながらそれらはパズルではなかった。
というのも、ほとんどの解決すべき事柄が見た目通りに並んでしまっていて、それらを順番に片付けていく作業と化しているからだ。物体と作用させるギミックの距離は物理的に遠く離れているが、解決すべき事柄の間に解決の順序を考えさせる層はまるでない。その揃いぶりは詰みがあり得るにもかかわらずリスタートを一度も必要としなかったほどだ。
二人で協力しながら先を目指すといえど、二人分に解決すべき事柄が振り分けられていて、しかも片方は自動操作で決して道を誤ることがないので、二人で挑むことが主軸として反映されているわけではない。物語が進むと先導者の庇護を離れる時が来るが、一人でも二人でもやることは同じで、目の前の物体を目の前に見えている場所まで運ぶだけである。
プレイヤーが一人で二人分動かすわけでもなければ、一人と二人とで難易度に差がつくようなこともなく、協力はパズルもろとも形骸化してしまっている。
その酷さは自称パズルと呼びたくなるほどだが、わずかにでも存在する整列の乱れによって、消極的にでもパズルと呼ぶべきとの気持ちのほうがかろうじて上回った。

ネタバレ項目: 物語の意外な面白さ

パズルが単調な作業と化してしまった反面、物語には意外な面白さがあった。
主人公は三つ目の光を灯したタイミングで一気に大人になるが、初見ではその違いに全く気づかないまま始まりの場所まで帰って来て、いつしか導く側としてふさわしいほどまでに成長していたのだとマヌケはそこでようやく変化に気づいた。

(Loop: 2-5) 成長する前の幼い主人公
(Loop: 2-5) 成長し一人前となった主人公
鳥の立ち位置が変わるのも当然このタイミングである。
並べて見比べると明確だが、マヌケはマヌケゆえに意識しないと気がつけない。

タイトルと先導者の辿った運命からして自分もいつかはその道を辿るのだとある程度予想していたものの、かつての先導者と同じ場所に立った時に見た光景に、徐々に大きく響く足音と共にとうとう導くべき子が現れた時は、わかっていても感慨深くなった。導かれる側から導く側へ、受け継がれる役割に感じた思いは二人を一人で動かしていたならば生まれなかったであろうものだ。
先導者が鳥の左側を頑として譲らなかった心境もわかるような気がする。それがシステム上の制約だとしても、マヌケの中でそれ以上の何かが子を左側に立たせるなと訴えていた。子への庇護欲かはたまた大人のプライドか……。

パズルとしてはあまりにつまらなかったが、だからこそ生まれた感慨があるというのは皮肉な話である。
そこに意外な面白さがあるとしても、やはりマヌケはパズルがしたかった。そのために単調な作業をやらされるのは苦痛である。このゲームは盤面が無駄に広いだけに余計にそう感じてしまった。