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パズルゲーム感想アーカイブ

破片を継ぎ、激情を接ぎ “MO:Astray”

ことごとく中途半端なゲームだが、たった一つ残された輝く光が全ての不平不満を雪ぐ。

スライムのような生き物 “MO” を操作してステージをクリアしていく2Dプラットフォームのゲーム。壁や天井に張り付くという特性と、ボールを打つかのような操作による俊敏なジャンプを特徴とするアクションゲームである。
物語の舞台はボロボロになりつつもなお稼働を止めない不気味な研究所で、ゾンビのような化け物がうろついていたり、紫色の棘のような致死性の植物が至る所に生えていたりととにかく危険に満ちている。
この研究所に一体何があったのか、なぜMOは誕生したのか、無垢なMOには全くわからないが、自身を生み落としたであろう天の声の導きを頼りにこの恐ろしい空間を駆け抜けていくこととなる。

使命や存在意義などはよくわからなくても、MOのアクションは跳ね回るだけでも楽しい。2段ジャンプを習得して移動範囲が広がるとより楽しくなる。
基本となるジャンプの操作は2段目ですら角度調整の猶予が長く残されていて、近場はわかりやすく着弾地点がマーキングされるので狭い空間でも狙いがつけやすい。
至る所に即死ギミックが配置されたいわゆる死にゲーであり、ゲーム側もコントローラー操作を推奨しているほどだが、このジャンプの仕様と細かく刻まれたチェックポイントのおかげで難易度はそこまで高くなく、バーチャルパッド操作でも不便はあれど難なく操作することができた。
実績の関係で2周したが、死亡回数は初見で400、2周目で60ほどである。どちらも難易度ノーマルなので多いのか少ないのかはよくわからないが、少なくともバーチャルパッド操作の死にゲーでありながら感じたアクション由来のストレスが少なかったというのは確かである。

張り付き能力と二段ジャンプによって移動能力の高いMOだが、行使可能なアクションの範囲はレベルデザインによって明確に制限されている。
ステージ上のギミックやアイテムのリソースと位置は自由を縛り手札とし思考を求めるべくねじられていて、その内容は間違いなくパズルアクションだと言える。
だが全ての問題がそうというわけではない。このゲームは根本的に本質が違うアクションのオムニバスとなっているのだ。
純度の高いパズルアクションがあるが、作品全体がパズルアクションとして純度が高いわけではない。なので少々不本意ではあるが、このゲームは消極的パズルと呼ぶべきか。

このオムニバス制をどう見るかだが、マヌケとしてはマイナスに映った。
自由な2段ジャンプアクションをやらせたいのか、パズルアクションをやらせたいのか、シューティングをさせたいのか。なまじパズルアクションとしてのレベルデザインがうまくできていたこともあって、結果として中途半端という印象が強く残ることとなった。
オムニバスでありながら死にゲーの緊張感は共通しているため、単調なアクションはなかったという見方をすればプラスに映るだろうが、私はパズルの奴隷であるがゆえ、パズルアクションのほうが面白いにもかかわらず全く違うゲームに割り込まれれば、いくらアクションが新鮮だろうがそんなものはつまらないのである。

狙ってオムニバスにしたというよりは、まとめきれずこうなったようにも思える。なぜなら中途半端なのはアクションの内容だけではないからだ。それは物語そのものだけでなく、物語の演出にも色濃く表れている。

まず、物語そのものの中途半端さとして、天の声の説明が曖昧でわかりにくいという欠点がある。初見の序盤にわかったのは「とりあえず上を目指そう」というぼんやりしたことだけだった。
天の声は舞台のことを「塔」と呼ぶが、何も知らないプレイヤー目線では大規模な研究所としかわからず、そこが高く聳える建物だと知る由もない。また天の声は原生住民のことを「怪物」と呼ぶが、何も知らないプレイヤー目線ではゾンビなども含め敵は皆等しく怪物である。他にも天の声は「あいつ」や「奴ら」など対象をぼかしたような物言いが多いため、何を指して何と呼んでいるのかが全体的に不明瞭で、ストーリーの理解が難しくなっている。
また、物語の進行でMOは死体やゾンビに取り憑き生前の記憶を読み取る能力を得るようになるが、彼らの記憶もまた同様に詳細がぼけた、そのくせ設定語りのような機械的な内容か、あるいはパニックに陥った人間の画一的な叫びばかりで、繋がりも生々しさも薄くつまらなかった。彼らの記憶は収集要素の一つだが、そのつまらなさゆえに終盤は記憶の読み取りに作業のような単調さを覚えたほどだ。

そして、演出の中途半端さだが、死にゲーである以上全体に気を配る余裕がないにもかかわらず、何の前触れもなく天の声が急に話しかけてきたり、作り込まれた背景の中に導線もなく物語を正しく紐解くためのヒントを混ぜていたりなどと、物語を楽しむための緩急や誘導が考慮されていないのである。
前述の物語のわかりにくさのせいで世界の謎を解き明かしたくなる好奇心が呼び起こされなかったからというのもあるだろうが、その結果としてだけではなく、構成の欠陥として別個に認めるべきことのように思える。

一つ一つの点は輝いているのに、一つの作品としてのまとまりが弱く、結果として中途半端なゲームだった。
この物語は曖昧でバラバラの記憶を紡ぎ合わせていくというストーリーだが、バラバラなのはキャラクターの記憶だけではなく舞台そのものもそうだったというのはなんとも皮肉な話である。

ネタバレ項目: エピローグ

テーマソングのタイトルからして直球だが、この物語は既に終わりを迎えた世界で曖昧な記憶を繋げて真実を知る、つまり取り返しのつかない過去に向き合うというものだった。
盛り上がりようもない終末後の世界という事実を差し引いてもことごとく中途半端な物語ではあったものの、焦点を過去との決別に絞り、そこに落とし前をつけるという物語の構成に関しては唯一綺麗にまとまっていたように思う。アクションに夢中でまるで話を聞いていなかったマヌケでも、かつての理想を忘れ復讐に暴走する彼女を止めねばならないという使命感に燃えることができた。
道中様々なつまらなさに何度も溜息をついたものの、メインテーマをBGMに陽の光を浴びながら堕ちていくELF生命体のきらめきを見れば、カタルシスが溢れて不満の一切がどうでもよくなりすらした。
流石は音ゲーに手慣れたインディーが関わっているだけのことはある。感情を揺り動かすBGMの力というものを実感した。

物語の焦点であるイラーラの未練は救いがなくも綺麗に解消されて終わるとはいえ、プレイヤー目線では物語は多くの謎を残したまま終わってしまう。中でも重大なのはやはりグリーンベルの行方だろうが、個人的にはそれに関連する形でMOの出生もまた同様に大きな疑問として残っている。
この二つに関して疑問を解消する明確な答えを出すことはできないだろうが、マヌケなりに得られた情報からできる限り考えてみた。以降はそれらに関する余談である。

イラーラは塔を包括管理するシステム・ディランによって封じられているが、ディランを改竄することで自身に代わる手足としてMOの生成を始めたのだと読み取れる。
二者の確執は説明がわかりにくいため理解が正確か自信がないのだが、ディランは元々シリウスによる改竄を受け不完全な中、さらに原生住民の攻撃を受け損傷、コントロールを失ったことでイラーラの不活性化が解け、今度は目覚めた彼女による改竄が入った、という順序に見える。原生住民の一斉攻撃を受けたタイミングが不明瞭だが、少なくとも塔内職員の殲滅命令が下された後だろう。発令前にイラーラがMOの生成を開始していたならば、様々な理由で黙ってはいられない人達がいるはずだ。

MOとELF生命体は必ずしもイコールというわけではないだろうが、道中でMOのコピーが作れたように、そしてELF生命体たるイラーラとMOがリンクしたように、MOはイラーラのコピーと見るのが妥当だろう。
コピーと呼ぶには見た目も性格も全く違うという矛盾があるが、The Errorsに取り込まれた犠牲者の一人、ザビエルの記憶や、MOのコピーが2段ジャンプを不可能としていることから分かる通り、ELF生命体といえどコピーは劣化を免れられないようで、度重なるコピーによって個性や自意識を失い無垢になってしまったのだと思われる。
また塔の最上部で閉じ込められていながら最下部でコピーを成功させるという効率の悪さと素材の非連続の矛盾もあるが、同じくThe Errorsに取り込まれた犠牲者の一人、被験者TX-07の記憶によると、赤い液体を注入されたらしい。これがイラーラの一部だとすれば、「変換」の実験を繰り返していた最下部でMOが誕生することの辻褄が合うし、なにより精神世界で出会うことになる別人たちの記憶の説明にもなる。

しかしながら、MOの供給を可能としたシステムには謎が残る。たった1匹のELF生命体を完成させるのに紆余曲折あったのに、30年もの間MOを生み出し続けられるのに耐え得るシステムを一体誰が完成させたのだろうか?
塔のリソースと権限を考慮するとグリーンベルから遠い人間に大規模な開発ができたとは考えにくく、基本はグリーンベルがイラーラの変換に使用したシステムに近いものだと思われるが、素材不足をどう解決したのかという疑問が残る。袂を分かちながらも隠れて開発を行う難しさに目をつむった上で、仮にシリウスとイラーラが完成させたシステムだとすると、素材不足と不安定なELF生命体の制御というグリーンベル式における二つの課題が解消するが、The Errorsの存在のせいで安全性にお墨付きを与えたイラーラの立場が苦しくなってしまうので、できればハズレであってほしい。

ノーマルエンドのイラーラ曰くグリーンベルは生きているらしいのだが、彼の目的と塔内外の環境、そして30年の年月を考えると、仮にそれが真だとしても、人間としては間違いなく生存していないだろう。
何の根拠もない個人的な予想だが、彼は最後の命令を下した後に最終的にイラーラに全てを託す形でMO生成システムを完成させ、自身は変換してしまったのではないかと思っている。ただしそれは恋人への義理や艦長としての責務ではなく、彼にとってのトラブルの大元である次元転移を引き起こしたイラーラへの当てつけのような気がする。
イラーラの変換時に背を向けて天を仰いだり、ディランとの会議で動揺を見せたりなど、一度はイラーラが愛した人なのだからきっと心の底までサイコパスなはずはないと思いたいのだが、イラーラもイラーラでW. B. Labの開発理念、この世界から争いをなくし人類に代わって真の平和をもたらすという一見模範的ながらも実は相当に危険な文言に同意を示すポンコツでもあるので、グリーンベルが完全なサイコパスで騙されたのだとしても仕方ないとしか言えないのが残念なところである。

グリーンベルは物語の中心人物として情報の秘匿が多く紐解くのが難しいキャラクターだが、そうさせているのは情報不足だからというだけではなく行動原理が統一されていないからでもある。
序章のグリーンベルのプレゼンから窺い知れる通り、彼の最終目標はELF生命体のように人類の殻を破ることである。だが彼はイラーラの暴走による次元転移により、元の次元への帰還を最重要事項として繰り上げてしまった。それはディランに最後の命令を下す時ですら変わらないほどだ。元の次元に帰るにはELF生命体の制御が必要不可欠なのに、まるっきり順序が逆である。
彼の望みはELF生命体への変換なのか、圧倒的な武力なのか、科学的功績なのか、富と名声なのか、あるいは自宅のベッドなのか……他にも一貫性のない行動や言動が目立つため、彼が真に望んでいるものが何なのかが全く見えてこない。
彼のパーソナリティごと真相をぼかしたと書けば聞こえはいいが、例によって作品全体に一貫した欠点である中途半端さの通り、役割や目線を考えないまま設定ばかりを詰め込んだ結果ぼけてしまったように見える。

この物語は、W. B. Labのとある研究室を舞台にしたセカイ系三角関係にまとめられる。理由は違えど正気を失い自覚をもって暴走したという点で3人とも共通していて、手段は違えど世界を破滅に追いやったという点で3人とも共通している。
死者の記憶に塔内組織や派閥の睨み合いなどといった思惑の交差や雑多な感情の入り混じりがまるでない陳腐な描写もこの3人に重点を起きすぎてしまったからだろう。セカイ系は人間関係が狭いがゆえに関係外が捨て置かれる脆さを抱えている。
イラーラの心を勝ち取ったが彼女が惚れ込む技術を開発することはできなかったグリーンベル、イラーラが惚れ込む技術を開発したが彼女の心を引き剥がすことはできなかったシリウスという二人の叶わぬ対峙、男のプライドに巻き込まれて身を滅ぼし信念すら失いかけたイラーラの苦しみなど、関係内で描かれるストーリーは鮮明だが、関係外をないがしろにした皺寄せは組織の責任者たるグリーンベルに大きく表れてしまっていた。

ディランの覗き見シーンの多さとか、記憶の欠片の位置と内容が概ね関連していそうな雰囲気とか、即死ギミックのせいで死に体の体力システムだけどMOの体力が自動回復するあたり無限のエネルギーが伊達じゃないってこととか、機械に取り込まれたMOに近づく触手と◎の顔の類似とか、2周すると見える詳細が驚くほどあって面白かったのだけど、偶然実績のために2周する羽目になっただけで、設定解剖を目的に2周する気概は流石に持てない。
壁画を見る余裕すらなかったマヌケに初見で楽しむのは難しく、もしそのまま終わっていたらこの余談は存在しなかっただろう。本当にもったいないゲームだった。