印流距離式加減算法 “Mystic Pillars”
「読んでも面白いものではないから」
これを読んだ人間がそう言うのは自由だ。だが、私がそう思っていると断言することができるのは私だけだ。
数と隣接関係が設定された柱の立つ盤面で、規定手数以内に目標通りに数を揃えるという、演算を大枠としたパズル。
このパズルは柱と柱の距離の数が移動するという演算方式を取る。例えば盤面が2-0-0ならば、左端の2の柱を一つ右隣に移動させれば1-1-0に、右端に移動させれば0-0-2となる。柱に負の値は存在しないため数字以上の距離を移動することはできない他、複数の経路が存在する場合は最短の数で計算する。
数字が移動範囲を決めている上、規定手数は最小に設定されているため、ただ狙いの数に合わせて崩すだけではダメで、あえて足したりすることも考えなければならないのは確かなのだが、所詮は足し算引き算だからだろうか、目標に近い数字の並びになるように崩していき、残りの数手で1の渡し合いをして調整するという場当たり的なやり方で多くは片付いてしまうし、そうでない問題でも最初に大きな数を両端で渡し合っていくうちにこのパターンに落ち着いてしまう。
一応、一目見てそれとはわからない特定の数を特定の順番で渡していかなければならないような、正解へ至る筋道が細い問題もごくわずかではあるが存在する。一方通行で行き止まりを作っていたり、移動方向を環状に制限しているような問題などでは比較的長く手が止まったので、そういった選択肢が制限されやすい問題が多ければおつまみパズルとして成立するかもしれないが、現状だと考えるまでもないほどに簡単すぎるのでおつまみパズルですらない。
ところでこの作品、どういうわけかストーリーが無駄に凝っていて、パズルに全く関係のない舞台の細かいところにまで設定が入っていて力の入れようが窺える。
王子が悲しみの果てに暴走した結果が国の根源たる大河に蓋というのがえげつなくも絵面としてパッとしない気がしてすわりが悪いのだが、所詮はパズルとは分離した別個の存在なのでパズルの奴隷たるマヌケにはどうでもいい話だった。
ただ、おそらく大元には関係ないが、一つだけ許せなかったことがある。それは日本語のある訳文のことだ。
ストーリー終盤、大河を塞ぐ柱を消し国に水源を蘇らせてまわる主人公を迎えた住人とのやり取りとして、以下のような文章が存在する。
この作品の原語はナレーションや制作者の所在を考えるにおそらくカンナダ語なので、マヌケにはさっぱり読めないがカンナダ語の文章を原文として引用する。環境によってはうまく表示されないかもしれないがご了承いただきたい。
ಆ ಗುಂಪು ಇನ್ನಷ್ಟು ಪ್ರಶ್ನೆಗಳನ್ನು ಕೇಳಲು ಆರಂಭಿಸುತ್ತದೆ. ನನಗೆ ಆಯಾಸವಾಗಿದೆ ದಯವಿಟ್ಟು ನೀವೆಲ್ಲ ಹೊರಡಿ ಎನ್ನುತ್ತೀರಿ.
無知のマヌケでも機械翻訳で文意を汲み取ることができるのだから技術の発展は素晴らしい。要は、どうやって柱を消しているのか住人達はこぞって主人公に質問をしたがっているのだが、疲れているから遠慮してほしい、とお断りしている状況というわけだ。
次に、言語設定を英語にした場合の文章を引用する。
The Group starts asking more questions. Citing weariness, you request they leave you alone.
もっとわかりやすい別の表現があるだろうと思ってしまう文章だが、これは「住人達はさらに質問をしようとするが、疲れを理由に一人にしてほしいと頼んだ」という意味であり原文とも合致する。
そして以下が、この文章の日本語訳である。
取り掛かろうとしたあなたに質問を続けようとする彼らに、見ても面白いものではないからと、あなたは一人で作業したい意思を伝える。
どういうプロセスで翻訳したのか定かではないが、少なくとも機械翻訳でないことは確かである。このあまりにプライドに欠けた主人公の発言に、まさか原文でも同じなのかと辿り直す羽目になったのだが、他の言語や原文を構成する単語などから察するに、このニュアンスはおそらく曲解の果てに加わったものだろう。カンナダ語の文章からの翻訳ならばマヌケには判別できないが、英文からの翻訳であれば “weariness” に「退屈」という意味があるのでこうなった理由もわからなくはない。
しかしながら、主人公をして見ても面白くはないと言わしめる行為はパズルの奴隷として到底許せるようなことではなかった。「見てるだけだと面白くない」という書き方ならまだしも、このような訳し方では主人公が柱の消去を嫌々やっているかのようだし、さらにはまるで制作者が自分達の作ったゲームをつまらないと自虐しているかのようにすら見えてしまう。原文の時点で存在したニュアンスだとしてもそれはそれで大概だが、今回は訳者によって歪められているのだからたまったものではない。
誤訳や珍妙な訳文というものには今まで何度も出会い悩まされてきたものだけど、ここまで明確に憎悪を覚えたのは初めてだ。
最早パズルがどうでもよく感じてしまうほどに、翻訳という行為の恐ろしさを垣間見てしまったような気がする。