畳み込まれる連続線 “noded”
ミニマルデザインがもたらした悲劇。
全てが見えていないのに、一体どうしろと?
点とそれらを結ぶ連続線で構成された図形を、点の移動によって指定された形に変形させるパズル。
点は指定されると自身が接続している線分の先にある点同士を結んだ直線を軸として対称移動し、指定した点に繋がっている線分もまた従属して動く。接続している線が1本だけの場合は端点を基準に対称移動する。
また点は色と形の性質を持っていて、特に形はプレイヤーが点を指定した際の挙動を大きく左右する。円形は指定すればその点だけが動くが、六角形は指定すると同じ色の点全てにも順に移動指定が出る。四角形はプレイヤーが指定することはできず、六角形の連動でしか動かすことができない。
プレイ中もさることながら、このパズルをクリアした時に残ったのは疲労感だけだった。嫌になるほど難しいのではなく、パズルとして不親切なことがとにかく目立つのだ。
マヌケは従属して動くパズルが苦手なため六角形が扱いづらかったというのもあるが、六角形でマヌケが最も扱いに困った面倒なこととは全てが強制的に動かされるその性質ではなく、結果を大きく左右する移動順のルールに関して不明瞭だったことだ。
だがそれを差し置いても、もっと面倒で意地悪なものがこのパズルには存在する。
このパズルの一番の欠点とは、点や線の重なりに関する視覚的な情報がほとんどないことである。
かろうじて違う形の点の存在が窺い知れる程度で、線、そして同じ形を持つ点は重なると一切判別がつかなくなる。いくら線が重なっていようともそれがどれだけ重なっているのか、接続している点は端点なのか否かなど、考えて解く上で必要になる大事な情報が移動のプレビュー程度しか確認できず、その全体像を把握するには実際に動かして重なりをほどいてみなければわからない。
そしてこれが六角形ノードと最悪の形で噛み合ってしまっている。自分の把握の及ばないものに逆算を入れることはできないため、確認の意味合いも込めて考えるよりもとにかくいたずらに動かしたほうが早く、思考停止プレイを奨励するというパズルにあるまじき内容のパズルとなってしまっている。仮に全てをほどききって理解したとしても、解く過程で再び線が重なることもあるため、終始状況の把握に思考のリソースを割かれるのはかなりのストレスである。
また必須ではないとはいえ、手数評価があるのもマイナスだった。ただでさえやる気を削ぐパズルで手順のブラッシュアップをできるほどの気力が湧くはずもなく、結局マヌケのプレイスタイルは雑にクリアして大まかな筋道を覚え、削れそうなところを削って100%を超えたらそれで終いという作業のようなものだった。
結果的にスコアは15000を超えたものの、それは楽しかったからやり込めたのではなく、与えられた指標を超えるべく試行錯誤をした結果でしかない。
遊んでほしくなくて世に出るゲームがあるわけがなく、ならば与えられる指標とは遊んでほしい気持ちの表れの一つなのではないかと私は解釈している。ゆえに必須でない高みであってもそこまでやり込むのはパズルの奴隷としての矜持であると同時に礼節である。
だがこの作品が用意した指標とはそんなマヌケの思いとは裏腹に、何も考えずに適当に用意したかのような薄っぺらいものだった。初見で解く分には高いハードルに見えるその指標も実はかなり甘い。大して考えてないことを隠すためにスコアアタックという名目でプレイヤーに代理探索させているのではないかと思えてしまう。
全くもって面白くなかったこのパズルだが、全ての問題が揃いも揃ってつまらなかったわけではない。最初から全てがオープンになっている問題は割と楽しく解くことができた。対称移動一つで生まれるバリエーションの意外な多さは一筋縄ではいかないものだ。
その基本的な面白さがあるからこそ、隠れたり隠したりするような意地の悪さに口惜しさを感じるのかもしれない。あるいは重なりのある問題の多さゆえにそれがない問題に解放感を覚え、それを楽しさと錯覚していたに過ぎないのかもしれないが。
全てがオープンになったならばこの悪い印象も払拭されるのだろうか。不透明な事実から先のことを推し量れるほど私はできた奴隷ではない。