神の手を選ぶのは自らの手 “One More Button”
私はパズルの奴隷。あなたはゲームの奴隷。
“No More Buttons” から続くシリーズ作品の2作目。
コントローラーが画面上のイラストのタップに制限される基本ルールはそのままに、前作の2Dプラットフォームパズルアクションから一転して、今作は見下ろし型の倉庫番ライクなパズルとなっている。
前作は主にカメラの移動に伴うイラストのフェードアウトにどう対処するかを考えるパズルだったが、今作は一画面に収まる問題として分割されているので、レベルデザインの枠組も考えるべき内容も変化している。
カメラを固定にした今作ではリスタートという名の回転ギミックと、規定の方向のブロックを乗せることで解錠するギミックの組み合わせによってイラストを隠している。
最初は4方向全てが揃っているが、解錠のためのブロックを工面しようとすると移動が制限されていくといった具合だ。1方向を潰してもクリアできる、または後で復活させられるように回すブロックの順番やどこから押すべきかを考える必要がある。
他にも面ごとに決められたテーマがありそれに沿って制限がかけられたりする (例えば滑る床のギミックであったり、視界を狭めることで擬似的に前作のようなカメラ移動によるフェードアウトへの対処を求めたりといったようなこともある) が、やはり基本は潰した1方向分の操作をいかにカバーするかだろう。
しかしながら、このパズルは基本で終わっていてそれ以上の応用を求めていないため、前作同様簡単に終わってしまう。
解決すべき事柄の層が薄くて単純と言えばいいだろうか?目の前の問題を解決するために何をすべきかを考えた場合、ある手立てを取ると何かが干渉する、解決後に別の障害が浮上するなどといったねじれがない。
前作よりもパズルらしくはなったものの、せっかくのパズル向けの基本ルールが生かしきれていないという気持ちは今作でも同じだった。
そして改めて思うのが、配置がバラバラの方向キーはそもそも遊びにくいという不満である。
やるべきことは見えているのに思い通りに動かせない苛立ち、操作を誤った時の疲労感といいあまり気持ちのいいものではない。
こんなに遊びにくいにもかかわらず、なんと今作にはスニーキングの要素がある問題が存在する。具体的な索敵範囲もわからないのに、思うように動けないながらもそれでもなんとか動かなければならないストレスは大きかった。
パズルの内容にはあまり関係ないが、前作とは違い今作のストーリーでは何かしらの強いメッセージを感じることはできなかった。
アナログコントローラーがいかに偉大な存在であるかがテーマだったなら、わざわざストーリーにするまでもなく前作の時点で既に自明なことだったと思うのだけど。
今作が本当に伝えたかったこととは一体何だったのだろうか?