神の手を作るのは自らの手 “No More Buttons”
支配されてはならないと簡単に言うけど、それが生きていくためにはなくてはならないものだとしたら?
コントローラーが画面上のイラストのタップに制限された、2Dプラットフォームのパズルアクション。
例えば、▶︎のイラストをタップすれば右に進み、▲のイラストをタップすればジャンプする。目的の動作を行うためには当然該当するイラストが画面上に存在しなければならないが、移動する度に画面はずれてコントローラーは遠ざかっていく。これらを工面するにはどうすべきか、または現在可能な操作で何ができるか、何をすべきかを考えなければならない。
しかしながら横スクロールと移動のルールの噛み合わせのせいか、どの場面においても解決すべき事柄が少なく、その数少ない事柄の解決策もアクションに依存する要素が多いため、パズルとしての面白さはほとんどなかった。
段差を利用してイラストの方向を変える仕掛けなど、それ自体が面白いと思ったギミックはいくつかあったものの、パズルとしての面白さに貢献するための層を増やす組み込まれ方がされていないため、概ね一発芸に終わっている。
パズルの面白さよりもむしろアクションに由来するストレスのほうが目立つ。体を丸めた移動がつっかえて勢いが減衰されることが多々ありその度にストレスが溜まったこと、移動に伴いイラストの位置がずれるのでその度にタップの位置を調整する必要があったりなどスムーズな動きを妨げる要素が多かったため、この作品はアクションの側面から見た面白さにも欠けていた。
コンセプトそのものはパズル向けで面白いと思ったが、パズルとしての設計を投げて安直にアクションに寄せてしまったためか、結果的にこの作品は本来のテーマとは反対に、アナログコントローラーがいかに偉大な存在であるかを示してしまっていた。
とはいえ強く伝えたいメッセージを持った作品であることは一応伝わった。誰の言葉か定かではないが、I DID EVERYTHING RIGHT
という台詞が強く印象に残ったことを覚えている。正しさは身を救わない。
パズルの奴隷たるマヌケとして、どうあがいても結局ボタンの支配からは逃げられないゲームの奴隷には同じ奴隷としてシンパシーを感じずにはいられないが、それでも私はパズルの奴隷であることを選び続けるのだろう。