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パズルゲーム感想アーカイブ

梵我一如概略 “Sadhana, The Way Back”

真に人が無欲になったなら、はたしてそれは生きていると言えるのだろうか?

トレーラーが限定公開なのが気がかりだが、公式サイトで公開しているので共有可と判断してここでも紹介させてもらう。
戦場の英雄、弓の名手Svetaketuが戦いから離れ悟りを開くまでの過程を追うゲームである。
Svetaketuという人名、そして作中で Behold Svetaketu, the great warrior of the Upanishads. と語られる通り、ストーリーで展開される思想はウパニシャッドを下敷きにしている。

悟りへ至る道と言えば壮大に聞こえるが、しかしながらゲームとしての内容は非常に薄い。制作者をして30分程度で終わると公言した通りの短さもそうだが、それよりも深刻な欠点として、語りたいテーマの表現にそもそもゲームというメディアを生かしきれていない。
プレイヤーがやることは物語の進行という名の移動と、体力も何もない無敵の主人公が単調な動きしかしない敵に2、3発当てるだけという茶番劇のような弓撃アクション、そしていくつかの一筆書きパズルだけである。
主人公が自ら歩き回れるアドベンチャーの形式を取っておきながら自由はなく、物語の展開もほとんどが文章によるナレーションである。弓を引くのは恐怖に打ち勝つためで、パズルを解くのは瞑想のためだが、ゲームとしてつまらなさすぎるがゆえに語られる物語もまた薄く感じてしまう。
“sadhana” とはサンスクリット語で「修行」を意味する言葉だが、タイトルに反して生温いゲームだった。

ただし、そんなこの作品にも一つだけ印象に残ったことがある。それは物語が進むにつれ、つまり悟りへ近づくにつれ、Svetaketuの姿が変化していった表現である。
欲を捨てるほどヒトの形をなくしていく表現は不気味で、抱いた情念は憧れとは程遠い恐怖ばかりだった。
家族を捨て、世界との繋がりを捨て、自分の姿すら捨ててしまう悟りの境地……欲深いマヌケには理解できそうにない。