致死性マッドハウスの三連星 “see/saw”
なんとなくだけど、一発芸の詰め合わせから逆算して作ったんじゃないだろうかと思える作品。
寄せ集めをまとめるなら、通す芯を間違えると待つのは惨事である。
トレーラーが限定公開なのが気がかりだが、公式サイトで公開しているので共有可と判断してここでも紹介させてもらう。
ステージの中で棒立ちする被験者が3つのサークルを全て回収できるよう、ステージ全体を傾けて操作するアクションである。
傾きは一定の浅い角度で固定なので派手に動かすことはできず、低い段差も越させられないほどに素の操作は貧弱である。ただし、助走距離さえ用意できれば被験者は勢いが乗るまでが早いので、つまずく要素がなければその勢いを利用して長距離をジャンプさせたり、高いところまで駆け上がらせることも可能である。
また、このゲームの大きな特徴の一つとして、サークルの回収に被験者の生死を問わないというものがある。ステージの至る所に致死性の回転ノコギリが置かれていて、触れると被験者は死に歩行能力を失ったただの物体となってしまうが、死体と化した被験者でもサークルに触れれば回収することができる。操作するのはステージなので死体でも傾かせれば滑り落ちる余地があり、またノコギリを擬似的な足場やリフトとして使ったりすることができるようになる。
時に鮮やかにノコギリをかわし、時にその身を投げ出す。被験者がスタイリッシュに動けるかどうかは勢いの制御次第である。
容赦のないノコギリの数と針の穴を通すしかないようなサークルの位置からして、このゲームはまごうことなき死にゲーである。そしてレベルデザインの共通項から浮かび上がる設計思想からして、このゲームはパズルではない。死にゲーアクションがパズルを謳えば一律で自称パズルというわけではなく、世には死にゲーでもはっきりとパズルアクションと言えるような作品もあるが、少なくともこのゲームは間違いなく自称パズルである。
というのも、このゲームにおける解決すべき事柄は大抵の場合テクニックに依存していて、あるアクションをしようとすると別の何かが立ちはだかるなどといった、アクションをパズルアクションたらしめる要素、つまりアクションの腕前による安直なゴリ押しを制限してギミックや能力などの組み合わせを求めるようなレベルデザインの構成がないのである。
死体の利用方法やサークルの回収ルートなど、考えるべきことが皆無というわけではないのだが、ほとんどの問題は解決すべき事柄とやるべきことが一対一で対応した枠組が3個別々に存在するだけで、その順番は順不同かあるいは自明な一通りのどちらかである。
そしてなにより、この一つ一つの枠組がそもそもパズルとしての作りではない。これらの解決方法のほとんどは勢いの加減を調整する小手先の技術がものを言うアクションに偏った内容ばかりであり、ノコギリなどといった障害物は勢いの制御を外してしまったケースを一律でミスとして処理するべく存在している。
このゲームは細かく角度を変えて操作することができない代わりに、狭い空間でも高速で走らせるようにするためか勢いが付きやすくなっているが、それはつまり微調整が難しいということでもある。付けた勢いにブレーキをかけるにもまた傾けて対処するしかないが、止まろうとして後退してしまったり、止まりきれずノコギリに激突してしまったりなどの事故は頻繁に発生する。
つまり、このゲームは単純な操作ゆえに微調整を要求すると途端に操作難度が上がるのだが、レベルデザインはそこからさらに猶予を狭めることを選んでいる。アクションの猶予が素で厳しいにもかかわらず、これに加えて規定時間内クリアという評価制度まである始末なのだからこれが意図的な選択であることは明確だろう。
あと一歩の届かないという状況はしばしばあり、その度にこのやり方で届くのか、そもそもアプローチの仕方を間違えているのではないかと疑問に思ったのだが、それらを解決したのは発想の転換ではなく、ジャンプの踏切位置や助走距離のわずかな違いなどといったずらしばかりである。苦労の末に解けたところで達成感を覚えることはなく、ただただ拍子抜けしたような気持ちになるだけだった。
レベルデザインに厳密な操作性を割り当ててしまったことで、パズルとしての面白みが失われていたことは明確だが、個人的には純粋なアクションとしての面白みにも影響していたように思える。
操作の度に画面が傾くが、微調整をしようとすると左右にガタガタ振れるという場面が集中的に表れるので、瞬間的に酔ってしまって操作を誤るということがしばしば起こった。
この傾きエフェクトを切ることも可能ではあるが、オフにするとあたかも被験者を直接動かしているように錯覚してしまい、だが当然傾けての間接操作なので思い通りにならない動きの硬さに苛立ってしまう、とこれはこれで欠点がある。
傾けて動かす操作はパズル向けの制限だが、結果として操作精度を要求するレベルデザインに着地するならば、わざわざその操作にこだわる必要はあったのだろうか?
死体に判定を残し、あまつさえ動かすことすら可能だったのはこの操作方式だからこそできたことだが、その挙動の制御に物理演算を使用していること、そして被験者がただの単一オブジェクトではなく手足のついた物体というせいで、狙った通りの動作ができるわけでもなくただ試行回数を稼いで思い通りになるのを待つしかなかったという点で面白みに欠けていたため、その必要性には疑問が残る。
何をテーマとするにしろ、レベルデザインの設計思想が何とも噛み合っていないように見える。
こんな体たらくのくせ、他称でもなくパズルジャンルを自称して居座っているのだからわけがわからない。その傲慢さをもってこの作品はクソゲーと呼びたくなる。
これほどまでに自称パズルという言葉が似合う作品もない。芯の通らないゲームになるのも納得である。