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パズルゲーム感想アーカイブ

ゲームではないと自称する「ゲーム」 “There Is No Game: Wrong Dimension”

私はUserじゃなくてPlayerでいたかった。

タイトルからして「ゲームはない」と名乗っているが、ストアの説明文等でしっかりネタバラしされている通り、この作品はポイント&クリックの謎解きアドベンチャーで、れっきとしたゲームである。
……が、作中で散々語られる「これは非ゲーム (non-game) である」という主張を尊重し、ここではこの作品のことを「非ゲーム」と呼ぶことにする。

この非ゲームはロシア訛りの英語を話すナレーターが非ゲームマスターを務めていて、彼はプレイヤー……もといユーザーに触れられることを頑なに拒もうとする。その徹底ぶりはシステムメッセージに至るまで早くやめろとそそのかしにくるほどである。
だがやめろと言われるとやりたくなるのが人間の心理である。大枠がポイント&クリックということで、あちこちにプレイヤーの好奇心を刺激するスプライトが散りばめられていて、願い虚しくあちこちを弄り倒されることで非ゲームは進行していく。どんなにやめろと言われても、ネジがあれば分解したくなるし、扉に鍵穴があれば開けたくなるのが謎解きゲーマーの性である。

この非ゲームがポイント&クリックであることは前述の通りだが、非ゲームがベタベタ触られる必要性を求めてだろうか、謎解きの構成は概ね同じで、スタートとゴールは明確で簡単に結べるように見えるが直接結ぶには色々と噛み合わない箇所があり、その補完として何か別の過程を必要とする作りとなっている。
補完方法は主に別の細々とした謎解きの結果の蓄積だがこちらは主な枠組に反して明確ではなく、注意深く観察しないと気づけないような変化を見つけたり、限定的な環境でのみ可能となる行動を起こしたりなど、手当たり次第の探索ととんちじみたひらめきが必要になることが多い。
繋がれば納得ではあるが狙って繋ぐには局所的なその枠組に対して、この非ゲームはその難しさを非ゲームとのコミュニケーションで埋め合わせるという手法を取っている。行き詰まると非ゲームはナレーションで見落としを示唆してくる。
つまりこの非ゲームの主題はナレーターをバディとした擬似的な協力プレイにあるのだが、しかしながらパズルの奴隷としてはありがた迷惑でしかなかった。
謎解きには解決すべき事柄の層があるというその内容は間違いなくパズルであり、そして一つ一つの層には非ゲームが抱えたゲームとしてのダイナミクスがあるというその内容は間違いなく面白かったのだが、マヌケにとって非ゲームのナレーションは水を差されるようなものであり、せっかくのパズルを台無しにされたかのようなわだかまりが残ってしまった。

非ゲームは弄って遊ぶ相手ではなく協力関係であるという構造はストーリーでも同じで、こちらでもそれゆえにつまらなさを感じてしまった。
この非ゲームはゲームを題材にしたメタフィクションではあるがあくまでモチーフでしかなく、メタな遊びができるわけでもなくプレイは画一的ではぐらかされたようで面白くないのだが、物語の構造に対して感じた主なつまらなさはそこではない。
私が感じたつまらなさ、それはユーザーと非ゲームの対話がフェードアウトしていき、いつしか役割の型に嵌められていくことにある。
非ゲームには自らを非ゲームたらしめた過去があり、彼の本来の対話先はその要因たちである。ユーザーは遠慮もなしに自身をつつきまわる迷惑な、だがなぜか事態を好転させてくれる部外者である。だがユーザーは非ゲームのバディとして、事態の収拾に付き合わざるを得なくなってしまう。
これは例えるなら、飛び入りゲストのつもりで好き放題に楽しんでいたのに、こっそり台本を渡されその通りに進めることを強要されるかのような、そんな居心地悪さである。対して、非ゲームは想定外への反応を多くは持たない。真剣な場面で弄ぶようなことをしたり、あえてバカのように振る舞ってみても、それに対しての驚きや呆れすら見せない。
相手の期待に応えることはできても、自分の期待に応えてはもらえない。この置いてけぼりにされたかのような寂しさがつまらなさの正体である。

それでも、プレイヤー対非ゲームで目線が間違いなく合っていた時間は本当に面白かった。特に1章のラストは腹を抱えて笑った。パズルのみならずゲームであそこまで笑ったのは初めてかもしれない。
あれが笑いのピークだったからこそつまらなく感じたというのもあるかもしれない。あれ以降で自分の顔が笑わなくなっていく現実は余計につらかった。

非ゲームの時は非常に面白いが、物語が進めば進むほどストーリーも謎解きもポイント&クリックとしてゲームになっていく一方で面白さは反比例するというとても残念な「ゲーム」だった。
自称でもないれっきとしたパズルだが、ゆえにパズルに縛られプレイヤーとの遊びではなくなってしまった作品のように映る。