雑兵ネクロマンシー “Zombie Night Terror”
ここに無能な働き者は存在しない。無能な怠け者の集団は生かすも殺すも指揮官次第である。
恐ろしいクスリにより、1匹のゾンビが世に放たれた。
ゾンビに噛まれた人もまたゾンビと化していく……このゲームはパニックに陥った街を舞台に、問題ごとに定められたクリア条件を達成できるようゾンビの群れを率いていくストラテジーである。
ゾンビは脳が腐っているため、自発的に考えて動くことはない。ゾンビの本能でできることは人間を齧ることと壊せる物を叩くこと程度で、あとはただひたすら前へ前へとふらふら歩き続けるだけである。獲物が背後にいたとしても壁に当たって方向転換しなければ齧りつけないし、目の前が断崖絶壁だろうとお構いなしに突き進む。
単体のゾンビが無能な代わりに、プレイヤーには分岐路の進行方向やオブジェクトの破壊・非破壊を指示するマップ上のスイッチと、問題ごとに定められたゾンビ変異薬が与えられるので、これらを駆使して群れを適切に捌いていくこととなる。
変異薬を使用するには襲撃やバレルの回収で得られるDNAを必要とするが、ゾンビを生贄に差し出すことでも貯めることができる。変異自体もゾンビの犠牲を必要とするものがあるので、DNAと併せたゾンビの数のリソース管理が求められる。
問題の内容は混乱に陥った街の襲撃だけではなく、武器を手に取った生き残りの人間達との戦いであったり、制限時間内の特定エリアの制圧、広大なマップから脱出口を見つけそこまで辿り着かせたりなど様々である。
リソースの配分を考慮しつつ複数の部隊を連続して指揮するこのゲームの内容はストラテジーに相当するものだが、同時にパズルであることも間違いない。どこから誰が出てくるのか、各部屋の構造がどうなっているかなど、ある程度の謎解き的な探りが必要となる問題もあるが、それらも含めた全体的なアプローチにおいて変異薬の種類およびゾンビのリソースとその問題で解決すべき事柄が互いにねじれ合っているからだ。
しかしながら、ねじれた枠組の解決はパズル以外に求める方が楽で、ゆえにパズルとしての面白みは薄かった。
ゾンビのリソース管理は挑戦課題込みですら雑にやってしまってもなんとかなることが大半で、あと1匹のゾンビが足りずに途方に暮れることもなく、対人間との戦いにおいてもアクションによる各個撃破のごり押しが通ってしまうことが大半で、ゾンビの部隊の展開といった戦略的アプローチを考える必要もない。
これは敵を倒せば味方になるというルールの性質上当然の帰結である。パズルとしてリソース管理を厳格にしようとすれば、1匹にかかる比重が増してしまい難易度がいとも簡単に跳ね上がってしまうことは想像に難くない。
また、このゲームはリソースを削る方法としてその主軸に武装した人間の抵抗を置いてしまい、さらにプレイヤーに無能なゾンビを一騎当千の猛将へと変える選択肢さえ用意してしまったため、リソースを減らすためのギミックがプレイヤーの腕一つで簡単に崩せてしまう。
ゾンビの数の暴力によるごり押しも有効ではあるが、大勢に指示を行き渡らせるための指示役ゾンビのリソースを割くことと操作の面倒くささを考えると、少数精鋭の方が楽だとすら感じてしまう。
複数の部隊を操りうまく制圧できれば気持ちがいいのは確かだが、そこにあるストラテジーとしての面白さは厳格なタイミングと適切なリソースの管理によるパズル的な面白さではなく、斬り込み隊長の遊撃と数の暴力によるタワーディフェンス的な面白さである。そういう意味では、このゲームは本質的にはパズルではないとも言える。