m-log
パズルゲーム感想アーカイブ

記憶の輪 “G30”

マヌケ。パズル。思考。奴隷。

回すと映し出されるパーツが切り替わるダイヤルを操作し、キーワードを頼りに目標のイラストを完成させるパズル。
目標のイラストは最初に提示されるキーワードで表されるものである。完成に近づくにつれキーワードが文章に発展していくので、その意味を知らなかったり、イメージのしづらいものであったとしても差し支えない。
イラストと共に完成した文章は作中の語り手によるその身に起こったことの説明でもあるので、語り手に一体何があったのかという一連の物語を紐解く楽しみもある。

しかしながら、パズルの内容は大して面白くなかった。手応えがなく単調でつまらないというだけでなく、全容が最初から詳らかになっていないパズルが苦手というマヌケの嗜好も大きい。
ダイヤルはそれぞれが何目盛りなのか、何のパーツが出てくるのか、どのパーツが従属して回転するのかといったルールはとにかく回さなければわからない。特定の条件を満たさなければ現れないパーツも出てきたりするが、それに関するルールも自身が手探りで見つけるしかない。
謎解きゲームとしての側面が強いとはいえ、関連性を理解した上でも何をどの順序でどう動かすかを考えなければならないのでパズルであることは間違いないのだが、それでもその中身は理屈で解かせるよりも、とにかく感覚に働きかけてくるような作りをしている印象が強かった。
機構の規模が短期記憶で覚えられる範囲内で収まっていたからよかったものの、作り手次第ではいくらでも意地悪になれるシステムだろう。
また、このパズルには別枠で手数制限を設けているがこれは蛇足でしかなかった。作品のテーマにもそぐわないし、パズルとしてもただの二度手間でしかない。

パズルの中身は不親切で単調だしストーリーも淡泊と面白みに欠けるゲームであることは間違いないが、この作品には光る要素も存在している。
それは解き進めるにつれ文章がはっきりしていくというパズルのシステムと、曖昧な記憶がはっきりしていく過程というストーリーとのリンクそのものである。語りたいテーマをゲームとして自然な作品へと昇華するその表現力は見事なものだった。

もしも自己同一性を失うことがあったとしたら、それははたして過去の自分と連続した自分と言えるのだろうか?何が自分を決めるのだろうか?
確固たる自信は持てないが、仮に私がそういう事態に陥ったとしても、どんな形であれきっと思考することをやめないような気がする。
私を私たらしめるのは、考えること。その姿がどんなにみっともなくとも、どんなに過去の自己像と切り離されていようと、最後まで考えることに殉じるならば、それはきっと今の私と連続した私である。

ネタバレ項目: タイトルにまつわる余談

エンディングで語られる通り、“G30” とはWHOが定めたICD-10 (国際疾病分類第十版) におけるアルツハイマー病の分類コードである。
しかし現在ではICD-11に改定されていて、そちらでは別のコードとなっている。
翻訳や移行の作業に時間がかかるためか、改定即採用というわけではないので浸透するまでにはまだしばらく時間がかかるだろうが、いずれはこの名前も語り手の記憶のように忘却の彼方へ追いやられるのだろう。
それとも、いつかこの作品にも改定が入るのだろうか?

関連項目

Innovative Puzzles収録作品